高鹿垣城跡(読み)たかしがきじようあと

日本歴史地名大系 「高鹿垣城跡」の解説

高鹿垣城跡
たかしがきじようあと

南北朝時代の城であるが、その正確な位置は不明。鷲頭じゆとう寺所蔵の文化年間(一八〇四―一八)の「高鹿垣雪嶺」という画幅があるが、それは鷲頭わしず山南方の茶臼ちやうすだいを高鹿垣にあてている(防長地名淵鑑)。また「地下上申」は「高せがき山」として「吉原奥豊井境目に有」と記す。

南北朝期に大内氏の内部抗争が表面化し、観応三年(一三五二)閏二月一七日に大内弘世が鷲頭貞弘の守る高志(鹿)垣城を攻めたが、その折末武すえたけ城にいた内藤藤時が鷲頭氏の救援に馳せ参じたことが同年八月の文書(「閥閲録」所収内藤小源太家文書)にみえる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

発見学習

発見という行為の習得を目指す学習。または,発見という行為を通じて学習内容を習得することを目指す学習。発見学習への着想は多くの教育理論に認められるが,一般には,ジェローム・S.ブルーナーが『教育の過程』...

発見学習の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android