日本歴史地名大系 「鯨井村」の解説 鯨井村くじらいむら 埼玉県:川越市鯨井村[現在地名]川越市鯨井・鯨井新田(くじらいしんでん)・霞(かすみ)ヶ関北(せききた)・的場新町(まとばしんまち)上戸(うわど)村の北、東を入間(いるま)川、西を小畔(こあぜ)川に挟まれた低地に立地。高麗(こま)郡に属した。村名は久次郎が開発し居住していたことから久次郎居村といい、久志羅井とも書いたと伝える。延宝(一六七三―八一)頃までは地内に犬武(いぬたけ)郷の地名が残り、独立性が強かったが、その後完全に鯨井村に合併されたという(風土記稿)。現東京都青梅市安楽(あんらく)寺蔵の大般若経巻一一六は、永和五年(一三七九)三月一八日に「河越庄犬武郷」において書写されていた。小田原衆所領役帳に御家門方の北条長綱(幻庵)御新造の所領として「百四拾二貫五百六十四文 河越卅三郷犬竹鯨井」とみえ、弘治元年(一五五五)に検地が行われた。天正六年(一五七八)北条幻庵は大井(おおい)郷名主・百姓中に人馬を調達し鯨井郷から上依知(かみえち)(現神奈川県厚木市)まで兵粮を運ぶよう命じている(同年正月二〇日「北条幻庵印判状」塩野文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by