的場村(読み)まとばむら

日本歴史地名大系 「的場村」の解説

的場村
まとばむら

[現在地名]引佐町的場

都田みやこだ(久留女木川)の支流獺淵おそぶち川の上流域に位置し、三河・信州への往還が通る。西は峰を境に三河国下吉田しもよしだ(現愛知県鳳来町)、東はうめたいら村。天文二三年(一五五四)一一月一四日に再建された六所大明神(字滝ノ元の現六所神社)社殿の棟札銘(六所神社蔵)に「伊那佐郡井伊保的場村」とみえ、当地は井伊いい保の内にあった。字西久保につくぼの臨済宗方広寺派龍翔りようしよう寺が所蔵する納経箱の蓋裏書に、正安元年(一二九九)一〇月二四日の年紀とともに「遠州伊那佐郡井伊保的場邑、金龍山鳳泉寺長楽謹書」などと記されるが、この裏書は後世のものとみられる。

的場村
まとばむら

[現在地名]川越市的場・的場北まとばきたかすみ関北せききた

笠幡かさはた村の東、入間いるま川と小畔こあぜ川に挟まれた低地および台地に立地。高麗こま郡に属した。牛塚うしづか古墳群と三芳野みよしの塚・初雁はつかり塚などとよばれた古墳があり、とくに三芳野塚の存在は当地が「伊勢物語」に記された「みよしのの里」に比定される根拠とされる。村名は戦国時代に隣村上戸うわどに拠った大道寺氏の的場があり、後まで的塚が残されたことに由来するという(風土記稿)。小田原衆所領役帳に江戸衆の山中内匠助の所領として「七拾八貫五百五拾八文 川越的場」とみえる。

的場村
まとばむら

[現在地名]加美町的場

奥荒田おくあらた村の南東、杉原すぎはら川とその支流荒田川流域に位置する。奥荒田村から分村した。延宝五年(一六七七)の的場村検地帳(的場区有文書)があるので、この年には独立していたことが知られ、高三八九石余・反別三三町五反余、山手銀四七匁余・野藪年貢銀三分・炭竈役銀二八匁余・鉄砲役銀二匁。元禄郷帳では古くは奥荒田村と肩書されて村名がみえ、高三七四石余。延享二年(一七四五)の村明細帳(的場区有文書)によれば田高二六三石余・反別一八町一反余、畑高一〇一石余・反別一三町九反余、小物成は延宝五年と同じ(鉄砲役銀はなし)、家数一〇五(高持七一・水呑三二・寺二)・人数四二五、牛三一。

的場村
まとばむら

[現在地名]富山市水橋的場みずはしまとば

常願寺川と白岩しらいわ川のほぼ中間の平地に位置し、東は高堂たかどう村。村名の由来は市田いちだ城主の騎射場があったことによるという(水橋町郷土史)。明暦二年(一六五六)の村御印留では草高三二八石・免四ツ一歩、小物成は鱒役二匁。寛文一〇年(一六七〇)の村御印では小物成として新たに鮭役二匁が加えられている(三箇国高物成帳)。天保一一年(一八四〇)まで草高・免に変化はない(「高免帳」杉木家文書)

的場村
まとばむら

[現在地名]清水町的場

畑中はたけなか村の南西、狩野かの川とさかい川が合流する地点の北側に位置し、北西は湯川ゆかわ村、境川を挟んで南東は長伏ながぶせ(現三島市)いずみ郷六ヵ村の一つ。元禄一一年(一六九八)の地方直しを機に幕府領・旗本内藤領・紀州和歌山藩士渥美領・同丹羽領と相給となる(国立史料館本元禄郷帳・「寛政重修諸家譜」・旧高旧領取調帳など)。宝永二年(一七〇五)幕府領分が旗本大河内領に転じ、以後内藤・渥美・丹羽・大河内の四家の相給で幕末を迎える(旧高旧領取調帳など)

的場村
まとばむら

[現在地名]高遠町大字長藤おさふじ

藤沢ふじさわ川の右岸、高遠城下の西北、町続きの村。北は弥勒みろく村に接する。

初見は正保四年(一六四七)の信濃国絵図高辻で「一高弐百弐拾七石 的場村 一高なし 的場之内不動村」とある。

じよう山の山麓に医王山香福こうふく寺がある。真言宗の古刹で本尊は薬師如来、天平一七年(七四五)行基の創建と伝えられる。寺の後の山を城山といい、尾根に沿って上中下三つの郭が空堀・土塁・用水跡などとともに残る。規模の大きな山城跡であるが、由緒はつまびらかでない。山麓の香福寺前は藤沢谷の古道が猪鹿沢いろくさわを越えて建福けんぷく寺や鉾持ほこじ神社前に通じ、寺の南に新館しんだて九日市場ここのかいちばなどの小字が残る。

的場村
まとばむら

[現在地名]広陵町大字的場

葛城川西部、萱野かやの村東部に接続する。旧箸尾はしお郷の内、王寺おうじ(現王寺町)から田原本たわらもと(現磯城郡田原本町)を経て三輪みわ(現桜井市)に至る三輪街道に沿い、字垣内かいと大福だいふく寺北寺付近の字古城ふるしろを中心に発展した。貞享二年(一六八五)から元禄一五年(一七〇二)の間に箸尾村(→箸尾から高分して独立した。

元禄郷帳では村高四〇七・九八四石。うち三〇石は大福寺領に箸尾村の名をとどめる。残る三七七・九八四石は郡山藩(本多唐之助)領。享保九年(一七二四)の和州御領郷鑑(柳沢文庫)に段別一九町五段五畝二一歩。

的場村
まとばむら

[現在地名]鳥取市的場

大覚寺だいかくじ村の南に位置する同村の枝郷。北を流れる大路おおろ川が大覚寺村との境で、村名はかつて倉田くらだ八幡宮流鏑馬が行われた地であったことにちなむという(因幡志)。元禄国絵図作成時に、初めて大覚寺村の枝郷として村名が記載され(元禄一四年「変地其外相改目録」県立博物館蔵)、元禄郷帳では高三三一石余。正徳元年(一七一一)郷村高辻帳では高二六三石余(拝領高相当分)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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