日本歴史地名大系 「鴫野庄」の解説 鴫野庄しぎののしよう 福井県:福井市旧足羽郡地区菅谷村鴫野庄奈良東大寺領の初期荘園。後述する条里坪付から、福井市の西郊菅谷(すがや)・大瀬(おおせ)・水越(みずこし)・飯塚(いいづか)の付近一帯に比定され、同時期の東大寺領道守(ちもり)庄の北側に足羽川を隔てて展開していたと考えられる。天平神護二年(七六六)一〇月二一日付の越前国司解(東南院文書)によれば、寺田整理の結果、改正田として鴫野村田二町二段三〇九歩、相替百姓口分田并買墾田として鴫野村田二町六段四八歩(このうち相替口分田一町六段一三〇歩、墾田九段二七八歩)の記載がみえ、その条里坪付は、西北一条十寒江里、西北五条十一桜原社里、西北六条十一菅江里・十二菅江西里にわたっている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by