鵲町(読み)かささぎちよう

日本歴史地名大系 「鵲町」の解説

鵲町
かささぎちよう

[現在地名]奈良市鵲町

鶴福院つるふくいん町の南に所在。「奈良曝」に「町役三十二軒」とみえる。「春日社記録」中臣祐賢記の弘安三年(一二八〇)五月六日条の「恒例郷民小五月若宮へ参天遊」に「笠サギ」がみえるので、鎌倉期には小五月こさつき郷に属した。「大乗院雑事記」長禄四年(一四六〇)閏九月二六日条にみえる正長元年(一四二八)の「領内間別銭事」に「鵲二十二間、南鵲廿五間四尺、北鵲五十九間一尺」とあり、「大乗院日記目録」嘉吉三年(一四四三)九月一六日条によれば豊田頼英父子が奈良に攻上った際に「鵲地蔵堂近所在家」が焼亡している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む