鷲ヶ岳城跡(読み)わしがたけじようあと

日本歴史地名大系 「鷲ヶ岳城跡」の解説

鷲ヶ岳城跡
わしがたけじようあと

[現在地名]那珂川町南面里

南面里なめり地区南西、鷲ヶ岳山上にあった戦国期の山城。永禄一一年(一五六八)のものと推定される一一月一三日の高橋鑑種書状(萩藩閥閲録一)には「立花安楽平鷲岳之事」とあり、立花氏に属する城であった。「続風土記」によれば、大友宗麟麾下の大鶴宗雲の居城であったといい、天正七年(一五七九)に龍造寺隆信方の大田兵衛と筑紫広門連合軍に攻められたが城を堅守した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 平地 石垣

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む