鹿島一布(読み)かしま・いっぷ

朝日日本歴史人物事典 「鹿島一布」の解説

鹿島一布

没年:明治33(1900)
生年天保13(1842)
幕末明治期の金工家。一布斎秀広の子。江戸生まれ。幼名は善次郎,号に一布斎楽則がある。はじめ父のもとで鐔の制作に用いる鉄布目象嵌技術を学ぶ。のちに布目象嵌を朧銀にも応用して絵画文様,緻密な幾何学文唐草文を駆使した独自の境地をひらいた。廃刀令による刀装金工の衰退のなかで,その一技法であった布目象嵌を大作制作に応用し,これを発展させて活路を見いだした功績は大きい。代表作に「金象嵌八角壺」(宮内庁蔵)や「朧銀山水図額」(東京国立博物館蔵)などがある。

(加島勝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「鹿島一布」の解説

鹿島一布 かしま-いっぷ

1842-1900 幕末-明治時代彫金家
天保(てんぽう)13年生まれ。父に鐔(つば)の制作にもちいる鉄布目象眼(ぬのめぞうがん)の技術をまなぶ。のち布目象眼を朧銀(おぼろぎん)にも応用して絵画文様などをもちいた作品を制作した。明治33年3月28日死去。59歳。江戸出身。号は一布斎楽則。作品に「金象眼八角壺」など。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の鹿島一布の言及

【明治・大正時代美術】より

… 明治初年,すでに蒔絵の柴田是真や彫金の加納夏雄は,名工として世に知られていたが,大多数の工芸職人たちはこうした工芸振興策をあしがかりとして頭角を現していった。彫金の海野勝珉(うんのしようみん),布目(ぬのめ)象嵌の鹿島一布(かしまいつぷ)(1828‐1900),蒔絵の白山(しらやま)松哉,無線七宝の濤川(なみかわ)惣助,西陣織の伊達弥助(1844‐92),そして陶工の〈歳寒三友〉とたとえられた宮川香山(1842‐1916),竹本隼太(はやた)(1848‐92),3代清風与平(せいふうよへい)(1851‐1914)たちである。
[近代化への道]
 1907年官設の展覧会として文部省美術展覧会(文展)が開設された。…

※「鹿島一布」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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