日本歴史地名大系 「麻布宮村代地町」の解説 麻布宮村代地町あざぶみやむらだいちまち 東京都:渋谷区麻布宮村代地町[現在地名]渋谷区広尾(ひろお)五丁目渋谷川左岸低地にある年貢町屋。片側町で、二区画は隣接して四区画に分れている。東は因幡鳥取新田藩松平(池田)家下屋敷、西は渋谷広尾町・祥雲(しよううん)寺、南は下豊沢(しもとよさわ)村のうち医師岡本玄冶抱屋敷。元地の麻布宮村町(現港区)は寛文二年(一六六二)に芝増上寺住職の隠居屋敷ができて各地に代地を受け、同八年新地奉行が初めて家作改、のち元禄一一年(一六九八)本村の南で堀の用地三ヵ所が代地となり、また同一五年に堀用地が堀端で二ヵ所、本村の道の用地が一ヵ所、これらが代地としていずれも宮村代地町となった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by