仲町(読み)ナカチョウ

デジタル大辞泉 「仲町」の意味・読み・例文・類語

なか‐ちょう〔‐チヤウ〕【仲町】

江戸深川の地名。現在の東京都江東区門前仲町。富岡八幡宮門前町で、江戸時代には茶屋が多くあった。

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

精選版 日本国語大辞典 「仲町」の意味・読み・例文・類語

なか‐ちょう‥チャウ【仲町】

  1. [ 一 ] 江戸時代、江戸深川にあった町名永代寺門前仲町(東京都江東区門前仲町)のこと。富岡八幡宮前の地域で、東仲町の土橋と並ぶ岡場所があってにぎわった。
    1. [初出の実例]「仲丁も焼たが立派に建た」(出典:洒落本・辰巳之園(1770))
  2. [ 二 ] 江戸時代、大坂堂島新地(大阪市北区堂島・堂島浜)にあった遊女町

出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例

日本歴史地名大系 「仲町」の解説

仲町
なかまち

[現在地名]烏山町中央ちゆうおう一―二丁目

城下中央に位置し、赤坂あかさか町の南に続く関街道の両側町で、南は清水川しみずがわ橋を境に金井かない町。町の中央部で西は喜連川きつれがわ町、東は常陸国へ通じる東西路が交差し、西はもと町、東は鍛冶かじ町が続いた。四つ辻の東側角に高札場、各町境には中木戸があった。町の長さ一六九間、当町および赤坂町東側裏手は通称てら町といわれ寺院が集中していた。


仲町
なかまち

[現在地名]函館市弁天町べんてんちようなど

弁天町の通りの上手(山手)を並行して走る通りに沿った町で、上手は神明しんめい町、西はたなごま町。中町とも記した。「箱館夜話草」によれば、「澗町と神明町との間にある」ことが町名の由来という。本町通の裏手にあたる当町と澗町・神明町を総称して三町(三丁)ともいった。「東蝦夷地道中記」が記す箱館の八町や「蝦夷島奇観」があげる箱館の一〇町のうちに「中町」とある。享和元年(一八〇一)の分間箱館全図では「仲町」と記される。


仲町
なかちよう

[現在地名]加賀市大聖寺仲町だいしようじなかちよう

大聖寺川左岸、片原かたはら町の中央部から北に延びる道の両側に面した武家町。延宝元年(一六七三)以前の大正持絵図(金沢市立図書館蔵)にも武家屋敷が描かれている。天明六年(一七八六)の大聖寺絵図によると、東側に土田家・清水家、西側に田中家・笠間家・竹内家・草鹿家・野尻家など有力藩士の屋敷があり、高砂たかさご橋を渡ると西は番場ばんば町の武家町に続いている。土田家は藩政初期に清左衛門が九谷くたに(現山中町)の金山奉行を勤めており(土田文書)、笠間亨日記(加賀市史料)は江戸時代中期の藩士の記録として興味深いものがある。


仲町
なかまち

[現在地名]函館市弁天町べんてんちようなど

明治三二年(一八九九)に設けられた町で、函館港の改良工事による弁天台場地先埋立によってできた五町の一つ。台場だいば町の西、たなごま町の北に位置する。明治三三年にはまだ戸口ともになかったが、同三八年には一一〇戸・四八四人を数える。同四二年の町域面積は一万一千二七五坪(函館区統計)。水産業関係者や工場労働者が多く、大正九年(一九二〇)の第一回国勢調査時には世帯数二九三・人口一千八一四。


仲町
なかまち

昭和四年(一九二九)一〇月から現在の室蘭市の町名。室蘭湾の奥の東側埋立地で、北から西は室蘭湾に囲まれる。町名の由来は輪西町本輪西もとわにし町の中間に位置することによる。もとは室蘭市大字輪西村わにしむらの一部で、チリベツ、ワニシの字名があり、昭和四年一〇月に室蘭市仲町となった(「大字廃止町名及之に伴う区域設定の件」昭和一六年室蘭市史)。昭和三九年住居表示が実施され、室蘭湾埋立地とひがし町・輪西町・本輪西町の各一部を編入(第二次住居表示新旧対照表)大部分が現在の新日本製鉄室蘭製鉄所の工場用地として整備されたため、丁目は設定せず、のちに定住者はいなくなった(新室蘭市史)


仲町
なかまち

[現在地名]石狩市仲町

明治四年(一八七一)から同三五年までの町。石狩郡のうち近世末期に形成された石狩市街の一町で、東は船場ふなば町、北はよこ町に接し、ほん町としん町に通ずる狭い町域である。「石狩国地誌提要」に「川西」として「仲町」がみえる。明治一二年の戸数八・人口三一(石狩郡外三郡村町別人口・戸口調)


仲町
なかまち

[現在地名]室蘭市中央町ちゆうおうちよう三丁目・入江町いりえちよう

明治六年(一八七三)から同一五年二月までの室蘭郡の町。絵鞆えとも半島の中央に位置し、札幌通さつぽろどおり五丁目の東側にある中通り一帯で、北ははま(明治一五年「室蘭港市街図」北海道志巻二など)。町名由来は中通りができたことによる(新室蘭市史)


仲町
なかちよう

[現在地名]清水市清水町など

清水町八ヵ町の一で新魚しんうお町の南に続き、南は美濃輪みのわ町。中町とも記す。ともえ川の河口部南端を占め、東縁は清水湾の波打際にあたる。寛文一一年(一六七一)の高波で巴川河岸の石垣が崩落したため、当町の河岸のさらに南に石垣を延長・修復している(魚座規矩旧縁起)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android