黍野村(読み)きびのむら

日本歴史地名大系 「黍野村」の解説

黍野村
きびのむら

[現在地名]野津町烏嶽うがく 黍野

波津久はづく村の北東、烏嶽山(三三〇・一メートル)南麓に位置し、同山南東麓から南西へ流下する黍野川流域にある。慶長二年(一五九七)の野津院検地帳写(渡辺家文書)には黍野村が波津久村など三ヵ村分と一括された一冊が含まれ、村位は下。同一一年の惣御高頭御帳にきひ野村とみえ、高六三石余。下ノ村組に属した。正保二年(一六四五)の稲葉能登守知行高付帳によれば本高五二石余・出来高一〇石余、田方三七石余・畑方二五石余、柴山などありと注記される。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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