黒沢準(読み)クロサワ ヒトシ

20世紀日本人名事典 「黒沢準」の解説

黒沢 準
クロサワ ヒトシ

明治〜昭和期の陸軍中将



生年
明治11(1878)年8月19日

没年
昭和2(1927)年9月5日

出身地
宮城県

学歴〔年〕
陸士〔明治31年〕卒,陸大〔明治40年〕卒

経歴
明治36年歩兵少尉に任官し、43年から3年間ロシア駐在武官、大正3〜7年の第一次大戦には独立第18師団参謀、関東軍兵站参謀長、チタ特務機関長を務める。9年参謀本部作戦課長、11年軍務局軍事課長。12年少将となり、参謀本部第1部長、歩兵第37旅団長、参謀本部総務部長などを歴任。陸軍有数の戦術家として知られた。昭和2年休職、死後中将に進級

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「黒沢準」の解説

黒沢準

没年:昭和2.9.5(1927)
生年:明治11.8.19(1878)
明治大正期の陸軍軍人。黒沢嫡の長男。宮城県出身。明治31(1898)年,陸軍士官学校,40年陸軍大学校を卒業後,43年から3年余ロシアに駐在,その後参謀本部員となる。第1次大戦(1914~18)では独立第18師団参謀として青島攻略に参加,シベリア出兵(1918)に際しては大佐で諜報担当の関東軍兵站参謀長,チタ特務機関長を務める。大正9(1920)年参謀本部作戦課長に就任。陸軍有数の戦術家といわれ,11年陸軍省軍事課長,12年少将となり参謀本部第1部長,歩兵第37旅団長,参謀本部総務部長など要職を歴任。昭和2(1927)年休職,死去後中将に進級。

(戸部良一)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「黒沢準」の解説

黒沢準 くろさわ-ひとし

1878-1927 明治-大正時代の軍人。
明治11年8月19日生まれ。明治43年モスクワ駐在武官。帰国後,参謀本部作戦課長,軍務局軍事課長,参謀本部総務部長などをつとめ,戦術家として知られた。昭和2年9月5日死去。50歳。陸軍中将。宮城県出身。陸軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「黒沢準」の解説

黒沢 準 (くろさわ ひとし)

生年月日:1878年8月19日
明治時代-昭和時代の陸軍軍人。中将;参謀本部総務部長
1927年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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