居倉北山村(読み)いくらきたやまむら

日本歴史地名大系 「居倉北山村」の解説

居倉北山村
いくらきたやまむら

[現在地名]越廼村浜北山はまきたやま

西は日本海に臨み、北は蒲生がもう浦。天正一〇年(一五八二)の覚書写(三助文書)に「明賀村山、赤坂・居倉・北山請之内持山之様ニ悪工申掛出入相成」とある「北山」は当村をさし、元禄郷帳以降村名を「居倉北山村」と改称。「越前国名蹟考」には「旧は北山村と云。元禄十四年十ケ村改号の節より居倉北山村と云」と記す。貞享三年(一六八六)福井藩領から幕府領となり、元禄一〇年(一六九七)高森藩領、天保郷帳段階では再び幕府領。正保郷帳によれば、田方二四石余・畠方五八石余。

前出天正の覚書写によると当村・居倉浦・赤坂あかさか村の三村と、茗荷みようが(現織田町)の間に山論が起きて長びいたが、慶長一五年(一六一〇)茗荷村の勝訴に帰した(三助文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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