イタリア王国最後の王。ビットリオ・エマヌエレ3世の長男。幼年時代から軍人教育を受け、1936年軍団将校となる。40年の対仏宣戦布告時に西部軍団司令官、42年に南イタリア軍団司令官に任命された。ローマ解放直後(44年6月5日)、反ファシズム諸政党からファシズム政権容認の責任を問われ、また連合国の勧告を受けた父王により国王代行を指命された。父王の正式退位によって、46年5月9日ウンベルト2世として王位につく。しかし、同年6月2日の国民投票で君主制廃止、共和国成立が決まり、6月12日に在位35日で王位を失った。サール伯の称号でポルトガルに亡命。その後36年間祖国の土を踏むことなく、ジュネーブで没した。
[藤澤房俊]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…本来は11世紀にフランス,ブルゴーニュ地方の封建領主であったウンベルト1世白手公に始まる家系である。その後,征服と婚姻政策によって,フランス南東部からイタリア北西部(サボア,バレ・ダオスタ,ピエモンテ)にわたる大領土を獲得し,15世紀にはサボイアSavoia公国を形成し,16世紀半ばにはエマヌエレ・フィリベルトにより絶対君主制が確立される。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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