寺川(読み)てらがわ

日本歴史地名大系 「寺川」の解説

寺川
てらがわ

多武峯とうのみね(桜井市)北東に発して北西流し、奈良盆地南東端に出て大字戒重かいじゆう付近で西流してきた粟原おうばら川を合わせて橿原かしはら市に入る。よね川を磯城しき郡田原本町との境界で合して北流、三宅町の東境を経て川西町ではほぼ南西流して大和川に入る。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の寺川の言及

【本川[村]】より

…かつて当村から東隣の大川村を含む一帯は本川郷とよばれ,周囲から隔絶した山間地で,中世には〈本川五党〉と称する5人の土豪がいた。寺川は石鎚山への登山口だが,江戸中期,同地に駐在した土佐藩山廻役春木氏の記した《寺川郷談》は,焼畑や狩猟など当時の生活や習慣をよく物語る。村域西部の手箱山(1806m)には近世初期の氷室跡がある。…

※「寺川」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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