日本歴史地名大系 「三宅町」の解説 三宅町みやけちよう 京都府:亀岡市亀山城下三宅町[現在地名]亀岡市三宅町城下町東部にあり、東端は年谷(としたに)川に架かる長さ一三間の大橋で柏原(かせばら)町に通じる。町並は東西に通る京街道沿いにある。築城に際し三宅村の住民を街道筋に移して町を形成。農家が主で、その間に商家が数軒あった。町並の長さ一九〇間。天保一二年(一八四一)の「桑下漫録」では戸数七二。町域内南東隅にある昌寿(しようじゆ)院一帯が中世の古世(こせ)城跡である。昌寿院は楠木正成の子正時の戦死後、妻が三宅村に帰り男子正世を産み代々住んで楠木屋敷と称したが、明智の兵乱に焼かれ、その跡を寺としたと伝える。 三宅町みやけまち 兵庫県:姫路市旧飾磨市地区三宅町[現在地名]姫路市飾磨区三宅(しかまくみやけ)一―三丁目飾東(しきとう)郡に所属。姫路城下と飾万(しかま)津を結ぶ街道筋のほぼ中間に位置し、南は亀山(かめやま)町。近世初期に三宅村の一部が町場化したもので、飾万津(しかまつ)町二〇町のうちの一町として飾磨津の町奉行の支配下にあった。元文五年(一七四〇)の地子銀高二三五匁余・物成米高二石余(姫路町飾万津町地子銀控)。 三宅町みやけちよう 奈良県:磯城郡三宅町面積:四・九七平方キロ奈良盆地のほぼ中央に位置。北は川西町、東北端は天理市、東と南は田原本町、西は北葛城郡広陵町と北西端は同郡河合町に境する。町域はまったく低平で、東境を寺川、西部を飛鳥川、西境を曾我川が西北へ流れる。明治二二年(一八八九)四月一日の町村制施行で式下郡の七村が合併して三宅村となり、昭和四九年(一九七四)四月一日に町制を施行。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「三宅町」の意味・わかりやすい解説 三宅〔町〕みやけ 奈良県北西部,奈良盆地中部の町。 1974年町制。寺川,飛鳥川流域にのぞむ米作地帯であったが,都市部に近く宅地化が著しい。スキー靴,グローブなどスポーツ用品製造業がある。近畿日本鉄道橿原線,田原本線が通る。面積 4.06km2。人口 6439(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by