日本歴史地名大系 「岩見村」の解説
岩見村
いわみむら
正保四年(一六四七)は四〇〇石(出羽一国絵図)、天和四年(一六八四)には六三四石余(「御黒印高帳河辺郡村々」河辺町郷土誌)でうち新田高が二三六石。さらに寛延三年(一七五〇)には高八一五石余(御黒印高帳河辺郡村々)、うち新田高は三九三石余を占める。
岩見村
いわみむら
寺川の西に位置し、南東のごく一部が東岸にある。西北は
慶長郷帳の村高は七四七・二二五石で幕府領(代官大久保長安)。元和元年(一六一五)郡山藩(水野勝成)領となり、のち二割半無地高増政策で村高九三四・一〇九石。和州御領郷鑑に享保九年(一七二四)の反別五一町七反七畝二九歩、家数五二(本百姓四二、水呑三、その他七)、人口二三四(男一一一、女一二一、僧二)、職人三(質屋一、肥や一、荷方一)、牛三とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報