西村英一(読み)ニシムラ エイイチ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「西村英一」の解説

西村 英一
ニシムラ エイイチ


肩書
元・衆院議員,元・自民党副総裁,元・厚相

生年月日
明治30年8月28日

出生地
大分県東国東郡

学歴
東北帝国大学工学部電気工学科〔大正13年〕卒

経歴
鉄道省に入省し、戦後運輸省鉄道総局電気局長から昭和24年衆院議員に当選。以来、当選11回を重ね、厚相、建設相など4つの閣僚を経験佐藤派・田中派にあって堂々と苦言を呈する“ご意見番”役を果たした。51年の田中元首相逮捕当時、田中派の七日会会長を務めた。54年党副総裁。55年6月の総選挙落選。鈴木総裁の再選が正式決定されたのを機に副総裁を辞任した。58年9月政界を引退。質素な生活ぶりでも知られる。

受賞
勲一等瑞宝章〔昭和43年〕 勲一等旭日大綬章〔昭和48年〕

没年月日
昭和62年9月15日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「西村英一」の解説

西村 英一
ニシムラ エイイチ

昭和期の政治家 元・自民党副総裁;元・衆院議員;元・厚相。



生年
明治30(1897)年8月28日

没年
昭和62(1987)年9月15日

出生地
大分県東国東郡

学歴〔年〕
東北帝国大学工学部電気工学科〔大正13年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲一等瑞宝章〔昭和43年〕,勲一等旭日大綬章〔昭和48年〕

経歴
鉄道省に入省し、戦後運輸省鉄道総局電気局長から昭和24年衆院議員に当選。以来、当選11回を重ね、厚相、建設相など4つの閣僚を経験佐藤派・田中派にあって堂々と苦言を呈する“ご意見番”役を果たした。51年の田中元首相逮捕当時、田中派の七日会会長を務めた。54年党副総裁。55年6月の総選挙で落選。鈴木総裁の再選が正式決定されたのを機に副総裁を辞任した。58年9月政界を引退。質素な生活ぶりでも知られる。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「西村英一」の解説

西村英一 にしむら-えいいち

1897-1987 昭和時代後期の政治家。
明治30年8月28日生まれ。運輸省鉄道総局電気局長をへて,昭和24年衆議院議員(当選11回,自民党)。池田,佐藤,田中角栄,福田各内閣で厚相,建設相,初代国土庁長官などをつとめた。54年自民党副総裁。昭和62年9月15日死去。90歳。大分県出身。東北帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「西村英一」の解説

西村 英一 (にしむら えいいち)

生年月日:1897年8月28日
昭和時代の政治家。自民党副総裁;衆議院議員
1987年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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