鶴峰戊申(読み)ツルミネシゲノブ

デジタル大辞泉 「鶴峰戊申」の意味・読み・例文・類語

つるみね‐しげのぶ【鶴峰戊申】

[1788~1859]江戸後期の国学者豊後ぶんごの人。通称、和左治。蘭文法に則り、最初の国文典である「語学新書」を著した。のち、水戸藩出仕

出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の鶴峰戊申の言及

【邪馬台国論争】より

…本居の邪馬台国九州説は,なお神功皇后とのかかわりから抜け切ってはいないが,《魏志倭人伝》に邪馬台国までの日程として記されている〈水行十日陸行一月〉とあるのを取りあげて,邪馬台国大和説に批判の目をそそいだのは,傑出した解釈であった。本居のこの論の及ぼした影響は大きく,鶴峰戊申や近藤芳樹らによって本居説は深められ,近藤は,さらに〈熊襲の類〉を,肥後国菊池郡山門郷とする新しい説を提唱した。こうした中で伴信友のみは,邪馬台国大和説を堅持して譲らなかった。…

※「鶴峰戊申」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」