イギリス・インド円卓会議(読み)いぎりすいんどえんたくかいぎ

日本大百科全書(ニッポニカ) の解説

イギリス・インド円卓会議
いぎりすいんどえんたくかいぎ

イギリス保守、自由、労働3党代表と、インド総督の任命したインド政界指導者および藩王国代表とによるインド統治法起案のための会議。1930年11月から1932年末まで3回にわたりロンドンで開かれた。会議は、1929年8月にアーウィン総督がサイモン委員会報告を受けて開催を予定していたが、インド国民会議派は幹部サティヤーグラハ運動のかどで拘禁中のため第1回には招かれず、第2回にガンディー単身出席した。会議ではコミュナル(宗派集団、身分集団)問題に関するマクドナルド裁定が示され、不可触民にも分離代表権が付与された。円卓会議の確認した諸原則は白書としてイギリス国会合同委員会に提出され、1935年統治法の基礎となった。

高畠 稔]

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世界大百科事典(旧版)内のイギリス・インド円卓会議の言及

【円卓会議】より

…アーサー王伝説に起源を発する。歴史上,この名で呼ばれるもので著名な例としては,(1)イギリスで,アイルランド自治法案をめぐって分裂したチェンバレン派とグラッドストン派の間で,自由党の再統一を目ざして,1887年に行われた円卓会議,(2)独立を求めるインドとイギリスの間で,1930年から32年まで3回にわたり行われたイギリス・インド円卓会議,(3)オランダからインドネシアへ主権の移管を決めた49年のハーグ円卓会議などがある。【広瀬 英彦】
[イギリス・インド円卓会議]
 1930‐32年,将来のインドの地位などを論議するべくイギリス政府がロンドンに招集した一連の会議。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」