ディエゴ・デ・サン・フランシスコ(読み)Diego de San Francisco

朝日日本歴史人物事典 の解説

ディエゴ・デ・サン・フランシスコ

生年生没年不詳
スペイン人フランシスコ会士。新カスティリャ地方のメンブリリャ生まれ。ディエゴ・パルド・デ・ラ・メンブリリャとも称した。司祭となって1605年スペインをたち,翌年マニラに到着。慶長17(1612)年,日本に派遣された。同18年の伴天連追放令に際し変装して日本にとどまり,ソテロが建てた江戸の教会堂付属癩病院で活動したが,元和1(1615)年に捕らえられた。牢に投ぜられ1年後,船手奉行向井将監 の斡旋で釈放され,スペイン国王の使節ディエゴ・デ・サンタ・カタリナに随行名目でメキシコに追放された。同4年,遣外管区長としてマニラ経由長崎に渡来し,同6年,江戸に7カ月滞在後長崎に戻った。寛永3(1626)年から3年余り本州北部に布教したのち,同6年大坂に至り,同9年まで滞在した。それ以降の消息は不明。彼の著した『ディエゴ・デ・サン・フランシスコ報告書』(浦川和三郎訳)と『ディエゴ・デ・サン・フランシスコ報告・書簡集』(佐久間正訳)は,キリシタン迫害下での伝道を克明に伝える貴重な史料。<参考文献>T.オイテンブルク著・石井健吾訳『十六~十七世紀の日本におけるフランシスコ会士たち』

(野間一正)

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