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ソテロ ソテロSotelo, Luis

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

ソテロ
Sotelo, Luis

[生]1574.9.7. セビリア
[没]寛永1(1624).7.12. 大村郊外
スペイン出身の司祭,フランシスコ会士。東洋伝道のためマニラを経て,慶長 11 (1606) 年来日。将軍家の許可を得て,江戸,府内 (現大分市) ,大坂などで布教,聖堂,コレジオを建設,浅草に癩病院を設立。伊達政宗と知合い,同 15年以降奥州で布教。政宗に貿易をすすめ,同 18年その遣欧使節支倉常長に随行し,スペイン国王,教皇に謁見させたが (→慶長遣欧使節 ) ,貿易の計画は失敗。しばらくローマに滞在,再び日本布教を企て,元和8 (22) 年キリスト教禁令下の日本に潜入したが捕えられ,寛永1 (24) 年大村郊外で火刑。慶応3 (1867) 年殉教福者として列福

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

ソテロ Sotelo, Luis

1574-1624 スペインの宣教師。
1574年9月6日生まれ。フランシスコ会司祭。慶長8年(1603)来日。各地で布教し,16年伊達政宗に仙台にまねかれる。18年政宗の遣欧使節支倉常長(はせくら-つねなが)らとスペイン,ローマにいく。元和(げんな)8年禁教令をおかして薩摩(さつま)(鹿児島県)にはいり,捕らえられ寛永元年7月12日肥前大村(長崎県)で殉教した。49歳。セビリア出身。

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朝日日本歴史人物事典の解説

ソテロ

没年:寛永1.7.12(1624.8.25)
生年:1574.9.6
スペイン人フランシスコ会士。セビリア市参事会員の次男。1600年メキシコを経てフィリピンに渡る。慶長8(1603)年,来日して大坂,紀伊,江戸で布教。同16年伊達政宗の知遇を得て奥州布教の足がかりをつくる。同18年9月政宗の遣欧使節支倉常長と共に牡鹿半島月の浦を出帆,マドリードおよびローマに赴いた。スペイン国王,ローマ教皇に拝謁したが,使節出立後,キリシタンをめぐる日本の政治情勢が激変したため,日本布教の援助を求める所期の目的を達せず,メキシコ経由で,1618年フィリピンに到着。同地に抑留され,支倉常長のみ元和6(1620)年帰国した。ソテロは2年後,禁制を犯して薩摩(鹿児島県)に潜入したが,直ちに捕らえられ,寛永1(1624)年大村において殉教した。当時の複雑な国際情勢の中にあって,布教のみならず政治面でも活躍したこともあり,敵対者も多く,彼ほど毀誉褒貶の極端な来日宣教師は珍しい。<参考文献>L.ペレス著,野間一正訳『ベアト・ルイス・ソテーロ伝』

(野間一正)

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世界大百科事典 第2版の解説

ソテロ【Luis Sotelo】

1574‐1624
スペイン人のフランシスコ会士。1594年同会に入会,東洋伝道を志し99年スペインを出発,翌年マニラに到着。同地の日本町で日本人キリシタンを指導し,日本語を学んだ。1603年(慶長8)フィリピン総督の書簡贈物を携えて来日し,徳川家康,秀忠に謁見し,その後主として和歌山,江戸で布教に従事した。09年漂着したビベロと,メキシコ貿易開設を望む家康との間に立って,通訳兼斡旋役として尽力し,仮協定を成立させた。

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大辞林 第三版の解説

ソテロ【Luis Sotelo】

1574~1624) スペイン人宣教師。フランシスコ会士。1603年頃来日。伊達政宗に遣欧使節派遣を進言し、自ら副使として帰欧。再度の来日は鎖国令にふれ、火刑に処せられた。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

ソテロ
そてろ
Luis Sotelo
(1574―1624)

スペイン人宣教師。フランシスコ会士。日本におけるフランシスコ会宣教活動の中心人物として活躍した。1603年(慶長8)に来日、まず京都で日本語の知識に磨きをかけたのち、京都、豊後(ぶんご)府内(大分市)、大坂や江戸に布教して教会を建て、江戸浅草にハンセン病の病院を開設した。江戸、とくに本州の北部で、伊達政宗(だてまさむね)の好意を得て、宣教活動に従事した。13年、徳川秀忠(ひでただ)による江戸のキリシタン迫害で死刑を宣告されるが、政宗の嘆願で刑を免れる。同年、政宗の遣欧使節として支倉常長(はせくらつねなが)に同行、メキシコ経由でマドリードとローマに赴いた。ローマで教皇から東日本の司教に任命されたものの、反対する者があり、その任につくことはなかった。日本への帰路、マニラ総督により4年間も足止めされるが、22年(元和8)、キリスト教禁制下の日本に向けて出航、薩摩(さつま)地方に潜入したがただちに逮捕され、2年後大村の近くで火刑により殉教した。[大谷啓治]

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世界大百科事典内のソテロの言及

【キリスト教】より

…その5年前,大村純忠らによって派遣された天正遣欧使節はローマに赴いて教皇グレゴリウス13世に謁している。禁教にもかかわらず,フランシスコ会士は1593年に初来日し,宣教師の一人ソテロは仙台へ行き,伊達政宗に迎えられた。江戸幕府は禁教令をきびしくし,オランダとのみ通商を認めたが,長崎の出島を離れることを許さなかった。…

※「ソテロ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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