尾張柳生流

デジタル大辞泉プラス 「尾張柳生流」の解説

尾張柳生流

剣術流派ひとつ。柳生新陰流開祖・柳生宗厳(むねよし)の孫にあたる柳生兵庫助利厳(ひょうごのすけとしよし)が、祖父から印可を受けて創始。利厳が元和元年(1615)に尾張徳川家に仕官したことから、江戸柳生流と区別してこう呼ばれる。

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世界大百科事典(旧版)内の尾張柳生流の言及

【柳生流】より

…新陰流の祖上泉伊勢守秀綱(上泉秀綱)から印可をうけた柳生石舟斎宗厳(むねよし)(1527‐1606)が流祖といえる。宗厳の五男但馬守宗矩(むねのり)(柳生宗矩)が徳川将軍の兵法師範として江戸柳生流の祖となり,宗厳の長男厳勝(よしかつ)の次男兵庫助利厳(としよし)(1579‐1650)が尾張の徳川家に仕えて尾張柳生流の祖となった。二つの流系は近代まで続き,江戸柳生の方は剣術流儀としては絶えたが,尾張柳生は現当主に至るまで,柳生新陰流の技法を伝承している。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」