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柳生流 やぎゅうりゅう

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

柳生流
やぎゅうりゅう

江戸時代の剣法流派の一つ。正式には柳生新陰流という。上泉伊勢守秀綱から新陰流を学んだ柳生宗厳 (むねよし) を開祖とする。宗厳の8男宗矩が,徳川家康,秀忠,家光の3代に剣法師範役として仕え江戸柳生の祖となり,長子厳勝の子利厳が尾張徳川家に仕え尾張柳生の祖となった。

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デジタル大辞泉の解説

やぎゅう‐りゅう〔やぎふリウ〕【生流】

剣道の一派。柳生宗厳が創始。江戸の柳生家は徳川将軍の兵法指南役として栄え、また、全国諸藩にも広がりをみせた。柳生新陰流。

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百科事典マイペディアの解説

柳生流【やぎゅうりゅう】

剣術の流派。柳生新陰流といい,柳生流は俗称。新陰流上泉秀綱に学んだ柳生宗厳(むねよし)が創始。宗厳の子の宗矩(柳生宗矩(むねのり))は徳川将軍家の兵法師範役となり,その子の三厳(柳生三厳(みつよし)=十兵衛),宗冬(柳生宗冬)もともに名手で,以後代々将軍家の師範役を務め,剣術の主流門閥として重きをなした。
→関連項目陰流手裏剣瞑想系身体技法

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世界大百科事典 第2版の解説

やぎゅうりゅう【柳生流】

江戸時代に栄えた剣術の流派。柳生流は俗称で,柳生新陰流という。新陰流の祖上泉伊勢守秀綱(上泉秀綱)から印可をうけた柳生石舟斎宗厳(むねよし)(1527‐1606)が流祖といえる。宗厳の五男但馬守宗矩(むねのり)(柳生宗矩)が徳川将軍の兵法師範として江戸柳生流の祖となり,宗厳の長男厳勝(よしかつ)の次男兵庫助利厳(としよし)(1579‐1650)が尾張の徳川家に仕えて尾張柳生流の祖となった。二つの流系は近代まで続き,江戸柳生の方は剣術流儀としては絶えたが,尾張柳生は現当主に至るまで,柳生新陰流の技法を伝承している。

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大辞林 第三版の解説

やぎゅうりゅう【柳生流】

剣術の一派。柳生宗厳むねよしが創始したもの。江戸時代に盛んに行われた。柳生新陰流。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

柳生流
やぎゅうりゅう

江戸時代の剣術の一主流。本来は新陰流(しんかげりゅう)で、正しくは新陰柳生流、柳生流は俗称。始祖は柳生新左衛門尉(しんざえもんのじょう)(石舟斎(せきしゅうさい)、但馬入道(たじまにゅうどう))宗巌(むねよし)。宗巌の五男又右衛門宗矩(またえもんむねのり)を初代として歴代将軍の兵法指南役を勤めた江戸柳生家と、嫡孫兵庫助利巌(ひょうごのすけとしとし)を祖として新陰流兵法の道統護持に尽くした尾張(おわり)柳生家の二大宗家を中心に、全国諸藩に広がりをみせた。
 宗巌は大和国(やまとのくに)添上(そうのかみ)郡(奈良県)の小土豪の出身で新陰流の弘布を目ざして西上した流祖上泉伊勢守秀綱(かみいずみいせのかみひでつな)の剣技に心服してその教えを請い、日夜修練して2年後の1565年(永禄8)一国一人の印可を得、翌年奥秘の絵目録4巻(燕飛(えんび)、七太刀(ななたち)、三学(さんがく)、九箇(くか))を授与された。この間大和の国情は急迫し、宗巌も戦陣生活に明け暮れたが、長男巌勝(としかつ)の重傷、織田信長の侵攻、松永久秀(まつながひさひで)の敗死(1577)などを機に、武将への夢を捨てて兵法家としてたつことを決意し、柳生谷に陰棲(いんせい)し、師から課せられた「無刀(むとう)」の完成を生涯の目標に掲げ、心技両面の工夫(くふう)に精進した。1593年(文禄2)65歳、入道として石舟斎と号するころには、その道の研究もほぼ大成して、上泉の新陰から柳生の新陰へと進み、彼の剣名を慕って入門する者が相次いだ。翌年徳川家康に招かれ、宗巌・宗矩父子で無刀の妙技を披露したのを機縁に、宗矩はその旗本に採用され、やがて将軍秀忠(ひでただ)・家光(いえみつ)の兵法指南役となり、「治国平天下(ちこくへいてんか)の兵法」を教授して、将軍家御流儀(ごりゅうぎ)の地位を確保するに至った。1651年(慶安4)宗矩の長子十兵衛三巌(みつよし)と三子内膳宗冬(ないぜんむねふゆ)はともに家光の御前で演武し嘉賞(かしょう)されたが、三巌の急死によって宗冬が家督を継ぎ、4代将軍家綱(いえつな)の兵法師範となり、大名やその子弟の入門も多く、また高弟らを諸大名に配置して、まさに柳生流の全盛を迎えた。しかし1675年(延宝3)宗冬の嫡子宗春(むねはる)が父に先だって急逝し、4代を継いだ宗在(むねあり)も1689年(元禄2)36歳でこの世を去り、宗春の嫡子俊方(としかた)が5代を継いだが、時代は文治的傾向が強く、御流儀の権威もしだいに翳(かげ)りをみせるようになった。この俊方も男子に恵まれず、ここに宗巌以来の血統は断絶し、松平越中守定重(まつだいらえっちゅうのかみさだしげ)の四男俊平(としひら)が6代を継いだ。以後、代々養子が続く不運もあって、江戸柳生の宗家としての名目は保持されたが、時代の変化には対応できずに、幕末・維新期を迎えた。
 一方、尾張柳生の祖兵庫助利巌は宗矩の長兄巌勝(としかつ)の嫡子で、祖父宗巌の膝下(しっか)で厳しい教育を受け、最晩年の1604年(慶長9)に真五合剣(しんのごごうけん)などの極意を皆伝された逸材で、尾張の徳川義直(よしなお)に迎えられて兵法師範となり、その子利方(としかた)・巌包(としかね)(連也斎(れんやさい))以降も代々師範に任じたが、7代巌之(としゆき)・8代巌久(としひさ)2代が相次いで早逝し、巌之の弟巌政(としまさ)が9代を継ぐころには、江戸家と同様にまったくの沈滞期に入っている。このとき道統の護持に努めたのが別家の長岡房成(ふさなり)(桃嶺(とうれい)、1764―1849)で、精力的に古法の研究に努め、『刀法録』など多くの著述を残している。その後、幕末1864年(元治1)家督を継いだ三五郎巌周(としちか)は、よく維新期の苦難を克服して再興に尽力し、その後、巌周・巌長(としなが)父子および一族の柳生一義(かずよし)らの努力により、道統を守って今日に及んでいる。[渡邉一郎]

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世界大百科事典内の柳生流の言及

【柳生三代記】より

…いわゆる武勇物の一つ。柳生流剣術の祖,柳生宗厳(むねよし),その子で将軍指南役となった柳生宗矩(むねのり),およびその嫡男柳生十兵衛三厳(みつよし),三厳の弟柳生又十郎(のちの飛驒守宗冬(ひだのかみむねふゆ))の柳生家3代の物語。ふつう,宗矩,十兵衛三厳,又十郎(宗冬)の3人が中心に演じられ,それぞれの独立した講談もある。…

【柳生宗矩】より

…大和国(奈良県)柳生庄に生まれる。父石舟斎は上泉伊勢守から新陰流の印可を伝授され,柳生に引きこもり柳生新陰流兵法のくふうと完成に精進した(柳生流)。徳川家康の招きを老齢のゆえをもって辞した石舟斎は,五男宗矩を幕下に勧めた。…

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