江戸時代の剣術の一主流。本来は新陰流(しんかげりゅう)で、正しくは新陰柳生流、柳生流は俗称。始祖は柳生新左衛門尉(しんざえもんのじょう)(石舟斎(せきしゅうさい)、但馬入道(たじまにゅうどう))宗巌(むねよし)。宗巌の五男又右衛門宗矩(またえもんむねのり)を初代として歴代将軍の兵法指南役を勤めた江戸柳生家と、嫡孫兵庫助利巌(ひょうごのすけとしとし)を祖として新陰流兵法の道統護持に尽くした尾張(おわり)柳生家の二大宗家を中心に、全国諸藩に広がりをみせた。
宗巌は大和国(やまとのくに)添上(そうのかみ)郡(奈良県)の小土豪の出身で新陰流の弘布を目ざして西上した流祖上泉伊勢守秀綱(かみいずみいせのかみひでつな)の剣技に心服してその教えを請い、日夜修練して2年後の1565年(永禄8)一国一人の印可を得、翌年奥秘の絵目録4巻(燕飛(えんび)、七太刀(ななたち)、三学(さんがく)、九箇(くか))を授与された。この間大和の国情は急迫し、宗巌も戦陣生活に明け暮れたが、長男巌勝(としかつ)の重傷、織田信長の侵攻、松永久秀(まつながひさひで)の敗死(1577)などを機に、武将への夢を捨てて兵法家としてたつことを決意し、柳生谷に陰棲(いんせい)し、師から課せられた「無刀(むとう)」の完成を生涯の目標に掲げ、心技両面の工夫(くふう)に精進した。1593年(文禄2)65歳、入道として石舟斎と号するころには、その道の研究もほぼ大成して、上泉の新陰から柳生の新陰へと進み、彼の剣名を慕って入門する者が相次いだ。翌年徳川家康に招かれ、宗巌・宗矩父子で無刀の妙技を披露したのを機縁に、宗矩はその旗本に採用され、やがて将軍秀忠(ひでただ)・家光(いえみつ)の兵法指南役となり、「治国平天下(ちこくへいてんか)の兵法」を教授して、将軍家御流儀(ごりゅうぎ)の地位を確保するに至った。1651年(慶安4)宗矩の長子十兵衛三巌(みつよし)と三子内膳宗冬(ないぜんむねふゆ)はともに家光の御前で演武し嘉賞(かしょう)されたが、三巌の急死によって宗冬が家督を継ぎ、4代将軍家綱(いえつな)の兵法師範となり、大名やその子弟の入門も多く、また高弟らを諸大名に配置して、まさに柳生流の全盛を迎えた。しかし1675年(延宝3)宗冬の嫡子宗春(むねはる)が父に先だって急逝し、4代を継いだ宗在(むねあり)も1689年(元禄2)36歳でこの世を去り、宗春の嫡子俊方(としかた)が5代を継いだが、時代は文治的傾向が強く、御流儀の権威もしだいに翳(かげ)りをみせるようになった。この俊方も男子に恵まれず、ここに宗巌以来の血統は断絶し、松平越中守定重(まつだいらえっちゅうのかみさだしげ)の四男俊平(としひら)が6代を継いだ。以後、代々養子が続く不運もあって、江戸柳生の宗家としての名目は保持されたが、時代の変化には対応できずに、幕末・維新期を迎えた。
一方、尾張柳生の祖兵庫助利巌は宗矩の長兄巌勝(としかつ)の嫡子で、祖父宗巌の膝下(しっか)で厳しい教育を受け、最晩年の1604年(慶長9)に真五合剣(しんのごごうけん)などの極意を皆伝された逸材で、尾張の徳川義直(よしなお)に迎えられて兵法師範となり、その子利方(としかた)・巌包(としかね)(連也斎(れんやさい))以降も代々師範に任じたが、7代巌之(としゆき)・8代巌久(としひさ)2代が相次いで早逝し、巌之の弟巌政(としまさ)が9代を継ぐころには、江戸家と同様にまったくの沈滞期に入っている。このとき道統の護持に努めたのが別家の長岡房成(ふさなり)(桃嶺(とうれい)、1764―1849)で、精力的に古法の研究に努め、『刀法録』など多くの著述を残している。その後、幕末1864年(元治1)家督を継いだ三五郎巌周(としちか)は、よく維新期の苦難を克服して再興に尽力し、その後、巌周・巌長(としなが)父子および一族の柳生一義(かずよし)らの努力により、道統を守って今日に及んでいる。
[渡邉一郎]
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…いわゆる武勇物の一つ。柳生流剣術の祖,柳生宗厳(むねよし),その子で将軍指南役となった柳生宗矩(むねのり),およびその嫡男柳生十兵衛三厳(みつよし),三厳の弟柳生又十郎(のちの飛驒守宗冬(ひだのかみむねふゆ))の柳生家3代の物語。ふつう,宗矩,十兵衛三厳,又十郎(宗冬)の3人が中心に演じられ,それぞれの独立した講談もある。…
…大和国(奈良県)柳生庄に生まれる。父石舟斎は上泉伊勢守から新陰流の印可を伝授され,柳生に引きこもり柳生新陰流兵法のくふうと完成に精進した(柳生流)。徳川家康の招きを老齢のゆえをもって辞した石舟斎は,五男宗矩を幕下に勧めた。…
※「柳生流」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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