赤沼(読み)あかぬま

日本歴史地名大系 「赤沼」の解説

赤沼
あかぬま

[現在地名]秋田市広面字赤沼

広面ひろおもて本郷の北にあたる。赤沼は手形てがた(手潟)長沼ながぬまとともに久保田東部の沼沢地であったが、正保元年(一六四四)頃から埋め立てられ、安政年間(一八五四―六〇)には姿を消した。「六郡郡邑記」に正保元年以後に新田が起こされ赤沼村となったとある。現在の太平山三吉たいへいさんさんきち神社の地に雪見御殿が天明元年(一七八一)藩主佐竹義敦によって建てられた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の赤沼の言及

【五色沼】より

…耶麻(やま)郡北塩原村に属する。1888年の磐梯山爆発によって流下した泥流のくぼ地に湛水したもので,檜原(ひばら)湖畔より東へ約3kmにわたって弥六沼,柳沼,青沼,瑠璃(るり)沼,弁天沼,竜沼,深泥(みどろ)沼,赤沼,毘沙門沼などの小湖沼が点在する。吾妻火山の火口湖や,日光白根山付近の堰止湖にも同名の沼があるので,とくに磐梯五色沼ともいう。…

【湖】より

だいだらぼっちの足跡が湖や池になったという伝説は多い。上野国(群馬県)の赤沼も,ダイダラボッチが赤城山に腰かけてふんばった足形の水たまりだと伝えられている。またこの赤沼の主は伊賀保の沼の主に嫁いだという伝承もあって,二所の水の神の交渉というモティーフを示している。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」