なが‐ぬま【長沼】
- 〘 名詞 〙 細長く続く沼。
- [初出の実例]「心細き長沼にそふて、戸伊麻と云所に一宿して、平泉に到る」(出典:俳諧・奥の細道(1693‐94頃)石の巻)
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長沼
ながぬま
迫町中央部にあり、三方を丘陵に囲まれ、北東に開けて迫川に対し、北西は丘陵一つを挟んで伊豆沼と並ぶ。周囲約一五キロ。水深は平水時で約二・五メートル、伊豆沼に次ぐ県下第二位の広さをもつ湖。高清水丘陵の東北面の末端に滞水した湖であるが、伊豆沼のように迫川中流の遊水地域ではなく、東方の平地諸村の重要な用水源であった。「北方村安永風土記」によれば、周囲およそ四里一二町余で、北方村と新田村の入会沼である。佐沼要害津田氏(のち亘理氏)の拝領沼で、農民は役代として本代一貫三〇〇文を毎年納めていた。同時にこの沼は北方村、新田村、南方村・同村端郷本郷・西郷・東郷(現南方町)入会の用水沼でもあり、貯水量九四五貫一〇四文であった。その後丘陵をくりぬいて新田村坂戸および山ノ神付近の浦新田(船越地区)へも水を引いている(天保二年「風土記御用書出」迫町史資料)。
長沼
ながぬま
成田市北部の国道四〇八号の東側にあった沼で、東西一二町余・南北一八町余、面積七万五千八四六坪(明治一九年「長沼村町村誌料」成田市役所文書)、中央がくびれた瓢箪のような形をしていた。沼の水は北側で二つの流れになり、一流は新川(現根木名川)といって安西新田の東端で利根川に注ぎ、一流は東流して尾羽根川に合流し滑川村(現下総町)の水門から利根川に注いだ(現派川根木名川)。「佐倉風土記」に「多利於灌漑、復宜於漁釣、舟揖亦通、但不可致大爾」とある。江戸時代、漁猟権は長沼村が所有していたが、その権利をめぐり沼べりの村々と度々出入となった。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
長沼(町)
ながぬま
北海道中西部、空知(そらち)総合振興局管内の町。1952年(昭和27)町制施行。町名はアイヌ語「タンネトウ」(長い沼の意)に由来する。札幌市の東郊にあたり、東は馬追(うまおい)丘陵、西は旧夕張(ゆうばり)川と千歳(ちとせ)川に囲まれる低地で、もとは馬追原野といった。1887年(明治20)2戸移住に始まり、低湿地のため水害に悩みながらも、治水の進展とともに水田化が進み、南空知の代表的米作地帯となった。馬追丘陵の西麓(せいろく)は畑地が卓越し、リンゴ、野菜などを産し、道路の整備とともに酪農も盛んとなり、札幌近郊の都市化のためこの地に移る酪農家もあって、南隣の東千歳地区(千歳市)、早来(はやきた)地区(安平町)に続く酪農地帯を形成する。国道337号、274号が通じ、長沼市街はバスで札幌に直結する。1971年(昭和46)馬追山に航空自衛隊ナイキ基地ができたが、この設置をめぐる長沼ナイキ訴訟(1969)で自衛隊の憲法違反判決が出たことで有名。面積168.52平方キロメートル、人口1万0289(2020)。
[柏村一郎]
『『長沼町九十年史』(1977・長沼町)』
長沼(旧町名)
ながぬま
福島県中通り南部、岩瀬郡にあった旧町名(長沼町(まち))。現在は須賀川(すかがわ)市の南西部を占める。旧長沼町は、1901年(明治34)町制施行。1955年(昭和30)桙衝(ほこつき)村と合併。2005年(平成17)岩瀬村とともに、東に隣接した須賀川市に編入された。阿武隈(あぶくま)川の大支流釈迦堂(しゃかどう)川の上流部にあたる江花(えばな)川の流域である。中心の長沼には戦国時代から江戸初期まで長沼城があった。現在は周辺地区の中心地である。桙衝には式内社の桙衝神社があり古い開発を示す。地域の西部には茨城街道(国道294号)が通り、勢至堂峠(せいしどうとうげ)下には勢至堂の旧宿場集落がある。米作、養豚、乳牛飼養などの農業を行うが、野菜生産も増加し、レンズ工場も立地する。
[渡辺四郎]
『『長沼町郷土史』(1961・長沼町)』
長沼(湖)
ながぬま
宮城県登米市(とめし)迫町(はさまちょう)にある湖。面積約4平方キロメートル。築館(つきだて)台地の分岐丘陵に挟まれ、迫川の自然堤防によって排水が妨げられてできたもの。農業用水源として重要で、釣りやジュンサイ採集が行われ、冬季にはハクチョウが飛来する。沿岸の兵粮山(ひょうろうやま)は1591年(天正19)大崎葛西一揆(かさいいっき)に際し、伊達(だて)氏の軍勢が兵糧(ひょうろう)を運んだ所と伝えられる。
[長谷川典夫]
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長沼[町] (ながぬま)
北海道中央部,空知支庁夕張郡の町。人口1万1691(2010)。石狩平野南部にあり,国道274号線が通じる。町の大半は低位泥炭を含む低湿な沖積地で,1893年の植民区画設定後に多数の入植者があったが,夕張川や千歳川のはんらんで開村以来大小70回以上の洪水にみまわれている。明治後期の長沼用水の竣工により原野中央部での開田が進んだ。米作を主とし,ジャガイモ,メロン,リンゴの栽培も行われ,東部の馬追丘陵では酪農が盛んである。丘陵地の自衛隊基地へのナイキ配備に反対する住民が起こした長沼ナイキ訴訟は,自衛隊の合憲性が争われる裁判に発展した。
執筆者:山下 克彦
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長沼
ながぬま
福島県中部,須賀川市西部の旧町域。 1901年町制。 1955年桙衝村と合体。 2005年須賀川市に編入。中心地区長沼は阿武隈川の支流江花川の氾濫原にあり,古くは会津地方と中通りを結ぶ交通の要地。戦国時代北部の日高見山にこの地方を支配した長沼氏が城を築き,城下町,物資の集散地として繁栄。米作を中心とした農業が主産業。精密機械,無線機工場もある。
長沼
ながぬま
宮城県北東部,登米市西部にある沼。仙北平野北東部に位置する沼。面積 3.1km2,水深 2.8m。築館台地の浸食谷が迫川の自然堤防でせき止められてできたもので,用水源の機能をもつ。
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長沼
宮城県登米市、伊豆沼の南方に位置する湖。北上川水系の天然湖で、面積は4.89平方キロメートル。2014年竣工の長沼ダムが建設されており、自然湖のダム化事業としては国内最大規模のものとして知られる。1990年完成の県営長沼漕艇場があり、ボート競技のメッカとして知られるほか、湖畔にはキャンプ場やローラー滑り台などを備えた長沼フートピア公園、日帰り温浴施設などがある。
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長沼[町]【ながぬま】
福島県中南部,岩瀬郡の旧町。中心の長沼は近世初期長沼氏の城下,のち松平氏の陣屋が置かれた。江花(えばな)川の低地に水田が開ける。2005年4月岩瀬郡岩瀬村と須賀川市へ編入。60.34km2。6734人(2003)。
長沼[町]【ながぬま】
北海道夕張郡の町。東部は丘陵地で,西部は川や沼に囲まれた低湿地であったが,1896年の夕張川の改修以後開田が行われた。肥沃で耕地が広く,果樹,畑作園芸が盛んであり,丘陵地帯の南部では酪農も行われる。西部は低地帯となっており,水田が広がる。168.52km2。1万1691人(2010)。
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