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津村淙庵

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美術人名辞典の解説

津村淙庵

国学者。名は正恭・教定、通称小三郎・三郎兵衛、号は淙庵・藍川・嘯咏館・如意堂等。江戸生。冷泉為村門で石川雅望の師。佐竹家御用達を務めた。著書に『片玉集』『思出草』等がある。文化3年(1806)歿、71才。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

津村淙庵 つむら-そうあん

1736-1806 江戸時代中期-後期の国学者,随筆家。
元文元年生まれ。江戸の出羽久保田藩(秋田県)御用達商人。成島錦江(きんこう)にまなび,石川雅望(まさもち),大田南畝(なんぽ)らと親交があった。20年間の見聞録「譚海」,紀行文「雪の古道」などがある。文化3年5月16日死去。71歳。名は正恭。通称は三郎兵衛。別号に藍川。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

津村淙庵

没年:文化3.5.16(1806.7.2)
生年:元文1(1736)
江戸中期の和学者,随筆家。名は正恭,三郎兵衛と称した。藍川は別号。江戸伝馬町商家の次男,兄が夭折し家督を継ぐ。幼少より好学で宝暦12(1762)年以降成島錦江に師事。錦江没後,その歌集を錦江の子竜洲と編集した。学問は和学に重きをなし抄録を主としたが,『阿古屋之松』や『雪のふる道』など数種の紀行をものしている。随筆『譚海』(写本,15巻,1795年跋『日本庶民生活史料集成』8巻)は20年間書き留めた見聞録であり,天明,寛政時代の世相や流行を知るのに至便。『片玉集』(写本,3編249冊,宮内庁書陵部蔵)は,平安時代から江戸中期までの主に和文学980点を収録した一大叢書である。<参考文献>森銑三「津村淙庵」(『森銑三著作集』7巻)

(ロバート・キャンベル)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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