改訂新版 世界大百科事典 「アフマドシルヒンディー」の意味・わかりやすい解説
アフマド・シルヒンディー
Aḥmad Sirhindī
生没年:1564-1624
インドの東部パンジャーブ,シルヒンド出身のイスラム神学者。幼少時,父から教育を受けていたが,長じて首都アーグラに出,アブール・ファズルやその兄アブール・ファイズ・ファイズイーらと交際した。のち,スーフィーの中でも伝統を重視するといわれるナクシュバンディー教団に入った。シーア派的思想が好まれていたジャハーンギール皇帝時代の宮廷で,彼は思想的に対立した。1619年,アーグラに喚問され,一時,グワーリオールの城砦に投獄された。しかし,皇帝は彼を許し,のち彼も宮廷と密接な関係をもつようになった。宗教上の問題について多くの論文を書いたが,とくに彼の書簡集が同時代以降のインドのムスリムに読まれ,アフガニスタン,中央アジアにまで影響を及ぼした。
執筆者:小名 康之
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報