アフメト・ミトハト(読み)あふめとみとはと(その他表記)Ahmet Midhat

日本大百科全書(ニッポニカ) 「アフメト・ミトハト」の意味・わかりやすい解説

アフメト・ミトハト
あふめとみとはと
Ahmet Midhat
(1844―1912)

トルコ大衆作家、ジャーナリストイスタンブールの中流家庭に生まれる。父の早世により、ブルガリアビディンにいる義兄のもとで教育を受け、ルセで地方官吏となった。ドナウ州知事ミトハト・パシャmidhat paşa(1822―1884)の知遇を得て、1864年にパシャとともにバグダード赴任。そこで新聞を発行し著作活動に入った。1873年、彼の著作がイスラムの原理に反するとの批判を受けて、ナムク・ケマルらとともにロードス島へ流された。1876年帰国後、アブデュル・ハミト2世の支援を受けて発行した新聞『真実の翻訳者』を主宰するかたわら、多数の著作を通じて大衆の教化、西欧文化の紹介に努め、それによってトルコの西欧化を大衆的基盤のうえに据えることに成功した。

[永田雄三]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

機械メーカー。トヨタグループの総本家で,繊維機械のほかトヨタ自動車からの小型商用車の受託生産,エンジンその他の自動車部品,フォークリフトなどの産業用車両の生産も行なう。1926年豊田佐吉が,みずから発...

豊田自動織機の用語解説を読む