現代外国人名録2016 「アルヴォペルト」の解説
アルヴォ ペルト
Arvo Pärt
- 職業・肩書
- 作曲家
- 国籍
- エストニア
- 生年月日
- 1935年9月11日
- 出生地
- パイデ
- 学歴
- タリン音楽院(作曲)〔1963年〕卒
- 勲章褒章
- レジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ章〔2011年〕
- 受賞
- 世界文化賞(音楽部門,第26回)〔2014年〕
- 経歴
- 第二次大戦後、エストニアがソ連に併合される。放送局にサウンド・エンジニアとして勤務する傍ら作曲活動も始め、1960年代に12音技法で前衛作品を多数発表。’67年放送局退職。その後沈黙の時期を経て、中世の古典や宗教音楽の研究のなか、’70年代半ばに「ティンティナブリ」という技法を見い出す。簡素な音の組み合わせを鈴の音が鳴り続けるように繰り返す表現方法で、自身の作曲スタイルを確立した。主な作品に「アリーナのために」(’76年)、「タブラ・ラサ」(’77年)、「鏡のなかの鏡」(’78年)、「ヨハネ受難曲」(’82年)、「スターバト・マーテル」など。’80年にオーストリアに亡命。のちベルリンに在住し活動を続けたが、生誕75周年にあたる2010年にエストニアに帰国。世界で最も演奏され続けているエストニアを代表する作曲家。’90年3月初来日。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報