アンドルーソボ条約(読み)アンドルーソボじょうやく(その他表記)Truce of Andrusovo(Andruszow)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アンドルーソボ条約」の意味・わかりやすい解説

アンドルーソボ条約
アンドルーソボじょうやく
Truce of Andrusovo(Andruszow)

1654~67年ウクライナと白ロシアの支配権をめぐって争われたロシアとポーランドとの戦争ののち,67年2月9日,スモレンスク近郊のアンドルーソボ村で両国間に結ばれた休戦条約。 13年半にわたる戦争のあと平和がもたらされた。この条約によって,モスクワは動乱時代に失ったスモレンスク,セーベル地方のほか,ドニエプル川左岸のウクライナと右岸キエフなどを確保し,ウクライナの再統合とザポロージエコサックに対する宗主権をポーランドに確認させた。しかし,この戦争は都市および農村住民の生活を破壊し,70~71年のステンカ・ラージン反乱の原因となった。やがてトルコからの脅威が高まると,86年ピョートル1世 (大帝) ,イワン5世両帝の摂政ソフィヤ・アレクセーブナはポーランドとの恒久的な講和を実現し,クリム・ハン国への遠征 (1687~89) を行なった。

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