現代外国人名録2016 「アービンジョンソン」の解説
アービン ジョンソン
Earvin Johnson
- 職業・肩書
- 元バスケットボール選手
- 国籍
- 米国
- 生年月日
- 1959年8月14日
- 出生地
- ミシガン州ランシング
- 別名
- 通称=マジック・ジョンソン〈Magic Johnson〉
- 学歴
- ミシガン州立大学〔1979年〕中退
- 受賞
- NBA・MVP〔1987年・1989年・1990年〕
- 経歴
- 1979年ミシガン州立大学をバスケットボール全米大学チャンピオンに導いた後、中退してNBAのレイカーズに入団。ルーキーとして初めてファイナルのMVPに選ばれる大活躍を演じた。以後、12年間で9回チームをNBA決勝へ導き、うち5回優勝。自らも3回MVPに輝くなど、人気、実力ともNo.1のスーパースターとして’80年代の米国プロバスケットボール界に君臨した。“マジック”の愛称は魔術師のようなプレーぶりから高校時代に地元紙の記者に付けられたもの。通算9921アシストは歴代No.1。’91年11月エイズ感染を理由に現役引退。’92年1月米政府エイズ対策委員会委員に就任。同年6月米大陸予選で再起し、バルセロナ五輪に“ドリームチーム”のリーダーとして出場、悲願の金メダルを獲得した。同年9月エイズ委員辞任。10月レイカーズと米国プロスポーツ史上最高の年俸で延長契約を結んだが、11月永久引退を表明。’94年3月レイカーズにコーチとして復帰。’95年1月再びレイカーズに選手として復帰するが、’96年5月引退。’98年4月国連平和大使に就任。エイズ研究を援助するマジック・ジョンソン財団の代表を務める。2000年3月大リーグ・レッズ傘下、マイナーリーグのデイトン・ドラゴンズ共同オーナーに就任。2002年9月バスケットボール殿堂入り。自伝に「マイ・ライフ」などがある。1994年来日。
出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報