改訂新版 世界大百科事典 「イベリア王国」の意味・わかりやすい解説
イベリア王国 (イベリアおうこく)
古代東グルジアのギリシア語名。自称はカルトリKartli。東グルジアの種族は前4世紀ころ国家形成に向かい,コルキスを除く統一国家を建て,首都をトビリシに近いムツヘタに置いた。伝説ではアレクサンドロス大王の総督に対する反乱の指導者であったパルナバズが最初の王であった。ストラボンによると,住民は王族,僧侶,自由身分の戦士と農民,身分的には王の奴隷とされる平民の4階級に分かれていた。前66-前65年のポンペイウスの侵入には,激しく抵抗したが,征服された後は好んでローマ化を受け入れた。同時にイランの文化的・宗教的影響力も根強いものがあった。4世紀ころより社会の封建化が進み,337年キリスト教が国教化された。4世紀末ササン朝は重税とマズダク教を強制しようとした。バフタング・ゴルガサルVakhtang Gorgasal(?-502?)によって撃退されたササン朝は,最終的に523年東グルジアを併合し,王国は滅亡した。
→グルジア
執筆者:北川 誠一
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