改訂新版 世界大百科事典 「マズダク教」の意味・わかりやすい解説
マズダク教 (マズダクきょう)
婦女子・財産の共有,肉食の禁止などを主張したササン朝期のイランの宗教で,社会改革者マズダクMazdak(5~6世紀)の教説。その詳細を復原することは,資料の不足のために不可能である。今なお,マズダクの運動を,まず社会改革運動とする立場と,本来は当時の正統ゾロアスター教に対する宗教改革運動であって,社会的なものは副次的とする見解の対立がある。その教説は,北方よりのエフタル族の侵入と飢饉で混乱する当時の社会情勢を背景に,急速に人心をつかみ,国王カワード1世(在位488-496,499-531)が,貴族,高級聖職者階級の権勢を制する意図もあってその信奉者となったことから,さらに王宮内にも勢力を拡大した。カワード1世は治世の晩年,その子で次王のホスロー1世の助言を入れて方針を転じ,マズダクとその信従者たちを一挙に殺害することに踏み切った(528年あるいは529年初頭)。アラブ史家が誤って次代ホスロー治下第1年のこととするこの大殺害によって,ホスローは〈アノーシルワーンAnōshirwān〉(〈不死なる魂の所有者〉の意)の称号を得,ゾロアスター教伝承の中では,ササン朝第1の名君とされるにいたった。
マズダク教の聖典のたぐいはすべて破棄され,その教説は,同時代のシリア語,ギリシア語,中世ペルシア語文献,後のアラブ史家の記述によって断片的にうかがい知られるのみである。これらの資料から判断するかぎり,宗教的には,ゾロアスター教,特にマニ教の教義を取捨選択した一種のグノーシス主義的二元論であり,後者と同じように,善・光と悪・闇などの対立する宇宙論を基軸として,人間の救済が説かれていた。婦女子・財産の共有のような共産思想が,特に共産圏の研究者によって強調されてきたが,本来は教義にかなう道徳的禁欲生活を送るための障害となる欲心・不和を防ごうとする意図によるものであり,その社会主義的側面のみに焦点を当てるのは妥当とはいえない。またホッラム教などへの影響が主張されるが,学問的裏づけはない。
執筆者:上岡 弘二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報