改訂新版 世界大百科事典 「ウクバブンナーフィー」の意味・わかりやすい解説
ウクバ・ブン・ナーフィー
`Uqba b.Nāfi‘
生没年:?-683
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…またムハンマド・ブン・アルカーシムは西北インド(シンド)を征略した(712‐713)。北アフリカ征服は,670年ウクバ・ブン・ナーフィーのカイラワーン建設により本格化し,711年ターリク・ブン・ジヤードが,712年ムーサーがイベリア半島に上陸し,その大部分を制圧した。のち,イスラム軍は732年トゥール・ポアティエの戦でフランク軍にその北進を阻止されたが,その後も734年にはローヌ渓谷に,743年にはリヨンに達した。…
…人口10万3000(1994)。アラブの軍人ウクバ・ブン・ナーフィーが670年に築いた軍営都市(ミスル)が起源で,マグリブ最古のイスラム都市。ベルベル人の指導者クサイラによる占領(7世紀末)やイスラムの異端派ハワーリジュ派による占領(8世紀中ごろ)など,政治的に不安定な状態が続いた。…
… これに対して,7世紀中ごろ,イスラムとアラビア語を携えて侵入してきたアラブは,ベルベルの改宗,混血を進めることによって彼らを徐々に同化させていったが,その過程は困難を極めた。670年,ウクバ・ブン・ナーフィーの率いるアラブはマグリブに進軍し,軍営都市カイラワーンを建設したが,ベルベルの指導者クサイラやカーヒナによる激しい抵抗に遭った。それらの抵抗が鎮圧された後も,ベルベルはウマイヤ朝,アッバース朝,アグラブ朝(800‐909。…
※「ウクバブンナーフィー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
〘 名詞 〙 年の暮れに、その年の仕事を終えること。また、その日。《 季語・冬 》[初出の実例]「けふは大晦日(つごもり)一年中の仕事納(オサ)め」(出典:浄瑠璃・新版歌祭文(お染久松)(1780)油...
12/17 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
11/21 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
10/29 小学館の図鑑NEO[新版]動物を追加
10/22 デジタル大辞泉を更新
10/22 デジタル大辞泉プラスを更新