チュニジア中部,同名県の県都。人口11万0280(1998)。アラブの軍人ウクバ・ブン・ナーフィーが670年に築いた軍営都市(ミスル)が起源で,マグリブ最古のイスラム都市。ベルベル人の指導者クサイラによる占領(7世紀末)やイスラムの異端派ハワーリジュ派による占領(8世紀中ごろ)など,政治的に不安定な状態が続いた。9世紀にアグラブ朝の都になるとともに繁栄し始め,マグリブにおける政治,経済,宗教,学問の中心地になった。市場(スーク)はにぎわい,モスクでは,アンダルスやイラクなど東西の各地から集まった学者たちが活発な神学・法学論争を繰り広げた。こうした繁栄は,ファーティマ朝,ジール朝の時代まで続いたが,11世紀の中ごろ,カイロに移ったファーティマ朝が送り込んだアラブ遊牧民ヒラール族により破壊され,衰退した。しかし,その後も聖都としての威厳は保たれ,聖者の墓やウクバ・ブン・ナーフィーの創建した大モスク(シディ・ウクバ・モスク)には多くの巡礼者や学者が訪れた。現在,観光地であるとともに,内陸部の農産物や家畜の市場として機能し,また伝統的なじゅうたん加工業が盛んである。新市街は旧市街の南側に位置し,ホテルや官庁が建ち並んでいる。
執筆者:私市 正年
ウクバ・ブン・ナーフィーの創設になる大モスクは西方イスラム世界における最古のモスクである。836年にほぼ現在の規模と形体に再建された。中庭とバシリカ風のT字形プランをもつ多柱式ホールからなり,幅が広く天井の高いネーブ(身廊)を主軸に,ミフラーブ前方と入口にドームが象徴的に架構されている。中庭北側に位置するミナレットは,3層からなる角柱形。装飾では,浮彫・透し彫を施した大理石製ミフラーブとその周囲にはめ込まれたイラク産のラスター彩タイル,同じく9世紀の木製ミンバルなどが特に重要である。
執筆者:杉村 棟
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