改訂新版 世界大百科事典 「エピロス帝国」の意味・わかりやすい解説
エピロス帝国 (エピロスていこく)
Epiros
第4回十字軍のコンスタンティノープル占領の際,ビザンティン帝国旧王朝アンゲロス家のミハエル1世がアルタを首都としてつくったギリシア人国家(1204-1340)。続くテオドロス1世はテッサロニキのラテン人王国を滅ぼし(1224),〈ローマ人の皇帝〉として戴冠式をあげたが,クロコトニッツァでブルガリア人の王アッセン2世に敗れ(1230),帝国の威勢は急速に傾いた。版図は二分され,テッサロニキは1246年ニカエア帝国の手におち,残存部分もミハエル2世の死(1271)後エピロスとテッサリアにさらに分かれ,それぞれ別々のアンゲロス家一族によって支配された。エピロスでは1318年以後ケファロニアのオルシニ家が代わって君臨した。18年にはテッサリアが,40年にはエピロスがコンスタンティノープルのビザンティン帝国に編入されたが,テッサリアでは豪族が割拠し,アルバニア人が侵入し,南部のネオパトライはアテネ支配のカタルニャ人に奪われ,ビザンティン支配は名目にとどまった。そして,48年には両地域ともセルビア人の王ステファン・ドゥシャンの支配下に入った。
執筆者:渡辺 金一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報