アルタ(読み)あるた(英語表記)Arta

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「アルタ」の意味・わかりやすい解説

アルタ
Árta

古代アンブラキア Ambrakia。ギリシア西部,イピロス (古代名エピルス) 地方の都市。アンブラキコス湾北岸の平野にあり,アラフソス川にのぞむ。前 650~625年頃コリントの植民市として建設された。前 294年からエピルス王国の首都となったが,前 189年ローマ人により攻略された。前 31年オクタウィアヌス (アウグスツス) がアクチウムの戦勝を記念して南西約 20kmの地に新市ニコポリス・アクチアを建設し,住民を移住させたので,アンブラキアは衰退。 11世紀ニコポリス・アクチアがブルガル人により破壊されてのち,アンブラキアの跡にアルタの名で新しい集落が形成され,この地方の中心都市に発展した。 15世紀なかば以降トルコ領となったが,16~17世紀にはギリシア文芸が繁栄。バルカン戦争 (1912~13) 後ギリシア領。現在オレンジ,レモン,シトロンなどを栽培する肥沃な農業地帯の中心地で,家畜酒類,タバコ,果実などの集散が行われるほか,織物 (毛,綿) ,刺繍製品などを産する。市内外にはビザンチン時代の要塞跡,13~14世紀の聖堂修道院などが保存されている。人口2万 451 (1991推計) 。

アルタ
Alta

ノルウェー最北部,フィンマルク県の町。この町の近郊ヒェンメルフトでは,1973年に多数の岩石画群が発見された。岩石画群は,アルタフィヨルドの湾に面した斜面,幅およそ 5kmにわたる区域の 45ヵ所に点在し,花崗岩表面に人間やトナカイクマクジラ,魚などの輪郭線が彫られ,顔料も塗られている。 6000年以上前,最後の氷河期が終わり,陸地が上昇するにつれて新しく現れた岩肌順次描かれたものとみられ,最上部の絵と最下部の絵の間は 18mも離れている。海に面した場所に描いたのは,そこが神々と人間の交流の場と考えられたためと推測されるが,極北の地に人間がいた事実と合わせて謎とされている。 1985年世界遺産の文化遺産に登録。

アルタ
artha

サンスクリット語で,実利意味する。古代よりインドで,ダルマ (法) ,カーマ (性愛) とともに,人生の三大目的の一つとされている。ほかに,もの,意味,内容,主題,目的などという意義をも有する。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「アルタ」の意味・わかりやすい解説

アルタ
あるた
Arta

ギリシア北西部、エピロス地方南部にあるアルタ県の県都。アラクトスArakhthos川の河口より13キロメートル、古代のアムブラキアAmbrakiaとほぼ同位置にある。人口1万7000(2003推計)。中世にはアカルナニアAkarnaniaともよばれた。13世紀にエピロス主教座が置かれた。そのころに建てられた豪華な教会が今日も残っている。1430年からのオスマン帝国の支配を経て、1881年ギリシア領となる。農産物、軽工業製品の集散地。市街にはアクロポリスを中心に古代の遺跡がある。

 アルタ県はアラクトス川下流域を占める農業地帯で、面積1613平方キロメートル、人口7万8500(2003推計)である。

[真下とも子]

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