改訂新版 世界大百科事典 「エムデン会議」の意味・わかりやすい解説
エムデン会議 (エムデンかいぎ)
1571年東フリースラント伯爵領にあるエムデン市Emden(現,ドイツ領)で開かれた改革派教会の会議。東フリースラントでは,領主である伯爵夫人アンナの支持を受けて,1543年以来ヨハネス・ア・ラスコJohannes à Lasco(Jan Łaski,1499-1560)により宗教改革が成立し,ネーデルラントやフランスからの亡命者を受けいれていた。当時ネーデルラントはスペイン領であり,総督アルバ公による宗教改革弾圧は苛烈であった。改革派の牧師たちは68年にウェーゼルWesel(クレーフェ大公領内)に会合を開いたが,これに続くのがエムデン会議である。《ハイデルベルク教理問答》と《ジュネーブ教理問答》を信仰規準として定め,ネーデルラント内および外地の亡命ネーデルラント人教会を区域に分けて,それぞれに会議を組織させ(これをクラシスと呼ぶ),教会規則を定めた。会議としては小さかったが,オランダ宗教改革,ひいてはオランダ独立にいたる決定的な道を開くできごととなった。
執筆者:渡辺 信夫
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