ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 の解説
エリザベータ・ペトローブナ
Elizaveta Petrovna, Romanova
[没]1762.1.5. ペテルブルグ
ロシア女帝 (在位 1741~62) 。ピョートル1世 (大帝)とリトアニア (リトワ) 農民出身のエカテリーナ1世との娘。バルト・ドイツ人の宮廷支配に不満をいだいていたロシア人貴族に擁せられ,以後慣例となる近衛連隊クーデターによって即位。無教養であったため,国務は彼女の手を離れ,元老院の執政のもとに取り仕切られた。この時期,地主貴族の特権は大いに拡張され,農奴を裁判を経ずにシベリアに送る権限を与えられた。また 1753年国内関税の廃止によって農奴制マニュファクチュアの成立が促された。彼女の素養とは対照的に,文化の面ではみるべきものが多い。 55年ロシア最初の高等教育機関モスクワ大学が,57年にはペテルブルグに芸術アカデミーがそれぞれ創設されて,ロシア文化の西欧化に貢献した。対外関係では,対スウェーデン戦争の終結とフィンランドにおけるロシア領の拡張,七年戦争 (56~63) 中のベルリン一時占領があり,プロシア王フリードリヒ2世 (大王) を窮地に陥れた。彼女はその勝利を目前にして没した。
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