エレナドキッチ(英語表記)Jelena Dokic

現代外国人名録2016 「エレナドキッチ」の解説

エレナ ドキッチ
Jelena Dokic

職業・肩書
テニス選手

国籍
オーストラリア

生年月日
1983年4月12日

出生地
ユーゴスラビア

経歴
ユーゴスラビア(現・クロアチア)で、セルビア人父母の間に生まれ、7歳でテニスを始める。1994年家族とともにオーストラリアに移住。’98年プロに転向、全米オープンジュニアで優勝、全仏オープンジュニアで準優勝し、年間世界ジュニア1位にランクされる。’99年全豪オープンで4大大会初出場。同年6月全英オープン(ウィンブルドン)1回戦でマルチナ・ヒンギスを破り、ベスト8まで進出し“天才少女”として話題となる。2000年ウィンブルドンでベスト4に入るが、父の素行の悪さがオーストラリアのメディアで叩かれ、父に連れられ帰国。同年ユーゴスラビア国籍を取得し、オーストラリアと二重国籍となる。同年シドニー五輪オーストラリア代表。2001年5月イタリア・オープンでWTAツアー初優勝。全仏オープン・ダブルスでコンチタ・マルティネスとペアを組み準優勝。2002年8月世界ランキングを自己最高の4位に上げる。2005年12月オーストラリア選手としてプレーすることを表明。2009年世界ランキング187位ながら全豪オープンに主催者推薦で出場し、ベスト8に進出。2011年3月マレーシア・オープンに勝利し、2002年以来のツアー通算6勝目を挙げた。175センチ、59キロ。右利きバックハンドは両手打ち。

出典 日外アソシエーツ「現代外国人名録2016」現代外国人名録2016について 情報

最新 世界スポーツ人名事典 「エレナドキッチ」の解説

エレナ ドキッチ
Jelena Dokic
テニス

テニス選手
生年月日:1983年4月12日
国籍:オーストラリア
出生地:ユーゴスラビア
経歴:旧ユーゴスラビア(現・クロアチア)で、セルビア人の父母の間に生まれ、7歳でテニスを始める。1994年家族とともにオーストラリアに移住。’98年プロに転向、全米オープンジュニアで優勝、全仏オープンジュニアで準優勝し、年間世界ジュニア1位にランクされる。’99年全豪オープンで4大大会初出場。同年6月全英オープン(ウィンブルドン)1回戦でマルチナ・ヒンギス(スイス)を破り、ベスト8まで進出し“天才少女”として話題となる。2000年ウィンブルドンでベスト4に入るが、父の素行の悪さがオーストラリアのメディアで叩かれ、父に連れられ帰国。同年ユーゴスラビア国籍を取得し、オーストラリアと二重国籍となる。同年シドニー五輪オーストラリア代表。2001年5月イタリア・オープンでWTAツアー初優勝。全仏オープン・ダブルスでコンチタ・マルティネス(スペイン)とペアを組み準優勝。2002年8月世界ランキングを自己最高の4位に上げる。2005年12月オーストラリア選手としてプレーすることを表明。2009年世界ランキング187位ながら全豪オープンに主催者推薦で出場し、ベスト8に進出。2011年3月マレーシア・オープンに勝利し、2002年以来のツアー通算6勝目を挙げた。175センチ、59キロ。右利き。バックハンドは両手打ち。

出典 日外アソシエーツ「最新 世界スポーツ人名事典」最新 世界スポーツ人名事典について 情報

367日誕生日大事典 「エレナドキッチ」の解説

エレナ ドキッチ

生年月日:1983年4月12日
セルビア・モンテネグロのテニス選手

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android