改訂新版 世界大百科事典 「カラオスマンオウル家」の意味・わかりやすい解説
カラオスマンオウル家 (カラオスマンオウルけ)
Karaosmanoğlu
18,19世紀のトルコにおいて,エーゲ海沿岸地方一帯を支配した名望家(アーヤーン)。この家系は17世紀前半に西アナトリアのヤヤキョイYayaköyと呼ばれる村の出で,始祖カラ・オスマンKara Osmanはシパーヒー(騎士)出身。1730年代以降,エーゲ海沿岸地方の代官(ミュテセッリム)職を独占し,徴税請負(イルティザーム),チフトリキ(私的大土地所有),不動産所有や家畜飼育などを経済的基盤として,この地方をその一円的支配のもとにおいた。19世紀中葉以後,オスマン帝国はイルティザームを廃止するなど中央集権化政策によってこの地方に対する政治的支配を回復したが,この家系の社会的影響力は今日にいたるまで失われていない。第1次世界大戦後のトルコ革命勢力のスポークスマンをつとめ,トルコ現代文学の父とも呼ばれ,外交官でもあったヤクプ・カドリー・カラオスマンオウルYakup Kadri Karaosmanoğlu(1889-1974)など,トルコの近・現代史上において重要な役割を果たした政治家を輩出した。
執筆者:永田 雄三
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報