ガウリー(その他表記)al-Ghawrī

改訂新版 世界大百科事典 「ガウリー」の意味・わかりやすい解説

ガウリー
al-Ghawrī
生没年:1430ころ-1516

ブルジー・マムルーク朝末期のスルタン。チェルケス系で,在位1501-16年。グーリーGhūrīとも呼ばれる。ポルトガルのインド洋進出に対してマムルーク艦隊を派遣するが,インド,カーティアーワール半島のディウDiu島沖海戦で敗北し(1509),この方面の制海権と通商権益を失った。オスマン帝国のセリム1世の東方イスラム世界への進出は両朝を宿命対決へと導いたが,アレッポ北方のマルジュ・ダービクMarj Dābiqの戦で大敗し,奮戦空しく戦死した。この敗北で事実上シリア全土を失った。学問アラブ文学を愛好し,治世の初期には多くの建造物を残している。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ガウリー」の意味・わかりやすい解説

ガウリー(伯)
ガウリー[はく]
Gowrie, William Ruthven, 1st Earl of

[生]1541?
[没]1584. スターリング
スコットランドの貴族新教徒で,メアリー・スチュアート反対派貴族の一人。 1581年未成年の国王ジェームズ6世 (のちのイングランド王ジェームズ1世 ) が旧教貴族の支配下にあったため,2代マー (伯)らとはかってルースベン事件を決行し,一時権力を掌握したが,83年王が脱出して形勢逆転し,大逆罪で処刑された。

ガウリー

「パールバティー」のページをご覧ください。

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世界大百科事典(旧版)内のガウリーの言及

【インド神話】より

…シバの妃はパールバティーPārvatī(〈山の娘〉の意)である。彼女はヒマラヤの娘とされ,また,ウマー,ガウリー,ドゥルガーなどとも呼ばれ,血なまぐさい狂暴な姿をとるときは,カーリーと呼ばれる。軍神スカンダ(韋駄天)と象面のガネーシャ(聖天)は,シバとパールバティーの息子とされる。…

【シバ】より

…彼はまた,妻サティーSatīの死を悲しんで,彼女の父ダクシャの祭式を破壊する。ヒマラヤの娘パールバティーPārvatī(ウマー,ドゥルガー,ガウリーなどとも呼ばれる)はサティーの生れ変りとされ,苦行の末に彼の妻となった。その間に生まれた息子が軍神スカンダ(韋駄天)である。…

【ドゥルガー】より

シバ神の妻。パールバティーPārvatī,ウマーUmā,ガウリーGaurī,カーリーなどの別名をもつが,これらは元来別の女神であったと考えられている。ドゥルガーは〈超え難い女性〉という意味で,悪魔たちを殺す恐ろしい女性戦士とみなされている。…

※「ガウリー」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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