ジェームズ1世(読み)ジェームズいっせい(英語表記)James I

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ジェームズ1世」の意味・わかりやすい解説

ジェームズ1世
ジェームズいっせい
James I

[生]1566.6.19. エディンバラ
[没]1625.3.27. シアボルド
イギリス,スチュアート朝初代のイングランド王(在位 1603~25)。スコットランド王としてはジェームズ6世(在位 1567~1625)。スコットランド女王メアリー・スチュアートとその夫ダーンリー卿の息子。母が退位させられたため,生後 1年あまりで即位,1583年から親政を始めた。1603年女王エリザベス1世が没すると,ヘンリー7世の玄孫であったところからその王位を継承し,スチュアート朝を開いた。翌 1604年ハンプトンコート宮殿会議を開いてイギリス国教会(アングリカン・チャーチ)との結びつきを強化し,清教徒・旧教徒双方の離反を招き,1605年火薬陰謀事件が起こった。スコットランドにいたとき『自由な君主国の真の法』The True Lawe of Free Monarchies(1598)を著して王権神授説を唱え,しばしば議会の権利を無視して,これと衝突した。外交的には親スペイン政策をとり,寵臣初代バッキンガム公の進言により皇太子チャールズ(のちのチャールズ1世)の妃にスペイン王女を求めたが失敗。その治世を通じてのちの清教徒革命原因多くをつくった。

ジェームズ1世[スコットランド王]
ジェームズいっせい[スコットランドおう]
James I

[生]1394.7.
[没]1437.2.20/21. パース
スコットランド王 (在位 1406~37) 。ロバート3世の子。 1406年父の死とともに王位を継承したが,イングランド王ヘンリー4世に捕えられて,その治世の最初の 18年間を捕囚の身としてイングランドで過した。そのため実権は叔父オールバニ公ロバート・スチュアートとその子マーダックの手にあった。 24年スコットランドに帰って王権強化のため司法行政,教会制度の改革を進めたが貴族反感を招いて暗殺された。

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