改訂新版 世界大百科事典 「ガスプラル」の意味・わかりやすい解説
ガスプラル
Gaspralï İsma`il
生没年:1851-1914
クリミア・タタールの貴族出身のイスラム改革主義者。モスクワの陸軍士官学校卒業後,フランス(1871-75)とトルコ(1875-77)に留学し,フランス自由主義と青年トルコ党のイデオロギーの影響を受けた。帰国後,クリミアのバフチサライの市長となり(1877-82),いわゆる〈新方式〉(ジャディディズム)に基づくマドラサを創立した。これはロシアだけでなく,トルコなどムスリム諸国のイスラム学校の新しいモデルとなった。また1883年に《翻訳者》紙を刊行し,〈ボスポラスから中国国境まで〉理解が可能な,共通トルコ語の普及に努め,ロシア・ムスリム最初のパン・トルコ主義のイデオローグとなった。1905-06年の3回にわたる全ロシア・ムスリム大会でも指導的な役割を果たし,ロシア人リベラル派と協調しながら,トルコ系諸民族の〈言語・思想・行動における統一〉を図ろうとした。
執筆者:山内 昌之
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