キュリー夫妻(読み)キュリーふさい(その他表記)Curie

翻訳|Curie

旺文社世界史事典 三訂版 「キュリー夫妻」の解説

キュリー夫妻
キュリーふさい
Curie
(夫)Pierre 1859〜1906
(妻)Marie 1867〜1934

ともにフランス物理学者・化学者。ただし,妻マリーはポーランド出身
共同研究の結果,1898年放射性物質のラジウムを発見し,1903年ノーベル物理学賞をふたり受賞ピエール死後,マリーは金属ラジウムの分離に成功し,1911年にはノーベル化学賞を受賞した。

出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報

世界大百科事典(旧版)内のキュリー夫妻の言及

【核反応】より

…また,A.アインシュタインが特殊相対性理論に基づいて発見した質量とエネルギーの等価性が,この実験の解析によって定量的に立証された。33年ジョリオ・キュリー夫妻は,α粒子を用いた核反応によって,放射能をもつ同位体(放射性同位体)を初めて人工的につくり出し,これにより,当時入手しにくく高価でもあった,ラジウムに代わることのできる放射性物質を人工的な方法で得る道が開かれた。続いて34年,E.フェルミはα粒子よりも中性子のほうが核反応を起こさせるのに有効であることを予見し,あらゆる元素に中性子を照射して,非常に多くの新しい人工放射性元素をつくり出すのに成功した。…

【キュリー】より

…ワルシャワ生れのフランスの物理学者,化学者。ポーランド名をマリア・スクロドフスカMaria Sklodowskaという。父は中等学校の数学と物理の教師であった。10歳のとき母を亡くし,15歳で女学校を卒業すると家庭教師をして働いた。1891年10月,学業を修めるためにパリに出,パリ大学で物理学と数学を学び,93年とその翌年,それぞれの修了試験に合格した。学業を修めた後はポーランドに帰り,ロシアの圧政下に苦しめられている祖国のために役だちたいと考えていたが,94年春のピエール・キュリーとの出会いを契機にパリでの研究継続を決意した。…

【キュリー】より

…フランスの物理学者。マリー・キュリー夫人の夫。パリの生れ。父は開業医であったが,自然科学にも深い関心をもっていた。ピエールは家庭内で教育を受け,16歳で理科大学入学資格試験に合格し,パリ大学に学んだ。1877年に物理学修了試験に合格し,その後5年間はパリ大学理学部で物理学の助手を務めた。最初,鉱物学の助手をしている兄ジャックと協同研究を行う。とくに彼は,結晶の対称性について研究したり,またジャックとともに圧電効果を発見し,その測定のために鋭敏な電位計を考案した。…

【原子力】より

…そのうちの一人,A.H.ベクレルは,ウランがX線と同じように物質を透過する性質をもつ放射線を出していることに気づいた。キュリー夫妻(M.キュリーP.キュリー)はこのベクレルの実験結果を徹底的に調べ,ウランが出している放射線はウランに固有のものであり,また,ウラン以外にも同じように放射線を出す元素があることを発見(1898),放射線を出す性質や能力を放射能とよび,放射能をもつ元素を放射性元素とよんだ。次いでE.ラザフォードは,ウランから放出される放射線のなかに,正の電荷と負の電荷をもつ放射線があることに気がつき,それぞれ,α線とβ線と名づけた。…

※「キュリー夫妻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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