日本大百科全書(ニッポニカ) 「ギトン・ドゥ・モルボ」の意味・わかりやすい解説
ギトン・ドゥ・モルボ
ぎとんどぅもるぼ
Louis Bernard Guyton de Morveau
(1737―1816)
フランスの化学者。初め法律を学び、ディジョン市高等法院の次席検事となったが、1764年、同市のアカデミー会員に選ばれてから化学の研究を始めた。「フロギストンに関する論説」(1772)で、一般に金属が熱せられて金属灰となる(燃焼と同じ現象とみなされる)と重量が増加することを示したが、この事実は当時のフロギストン説(燃焼とはフロギストンが物質から遊離する分解現象であるとする仮説)とあわないため、たとえばフロギストンの質量を負と考える仮説を示唆した。しかし、パリ滞在中にこの説を捨ててラボアジエの酸素による燃焼理論に同調した。またかねてから化学物質の合理的命名法の必要性を説いていたこともあって、フールクロア、ラボアジエとともに『化学命名法』(1787)を執筆した。1789年のフランス革命勃発(ぼっぱつ)後、国民議会に選出され、以後パリに定住し、一時は公安委員会委員にもなり、政治的に重要な地位を占めた。1794年のエコール・ポリテクニク(理工科大学校)創立以来1811年まで同校の教授を務め、また、アンモニアガスの液化を実現するなど、化学工業にも貢献した。
[吉田 晃]