グラティアヌス(英語表記)Flavius Gratianus

改訂新版 世界大百科事典 「グラティアヌス」の意味・わかりやすい解説

グラティアヌス
Flavius Gratianus
生没年:359-383

ローマ皇帝。在位367-383年。ウァレンティニアヌス1世の息子で,367年アウグストゥス位に就き,375年の父帝の死後ローマ帝国西方の統治を引き継ぐ。当初は師アウソニウスの進言元老院との関係改善に意を用い,異教・異端にも寛容策を採ったが,自身は熱心な正統派キリスト教徒で,やがてミラノ司教アンブロシウスの影響下で不寛容策に転じ,歴代ローマ皇帝が帯びたポンティフェクス・マクシムス(大神官)の称号を棄て(379),またウィクトリア女神の祭壇を元老院議場から撤去させた(382)。383年奪帝マクシムス迎撃のためパリへ赴いたが自軍に背かれ,8月25日逃亡途上のリヨンで殺された。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内のグラティアヌスの言及

【高利貸】より

…【佐藤 圭四郎】
[ヨーロッパ]
 中世のヨーロッパでは教会の教儀によって原則として利子の徴収が禁止されていた。旧約聖書《申命記》における〈兄弟からはどんな利子もとってはならぬ〉という教えは,4世紀の聖アンブロシウスによって〈資本を超えたものを受け取ってはならない〉という形に一般化され,グラティアヌスによって教会法に組みこまれた。キリスト教徒の間で利子付きの貸借を行うことは高利貸usuraとして神の教えに背くことと考えられた。…

【ローマ】より

…次に帝国を担ったのはウァレンティニアヌス1世(在位364‐375)とその弟ウァレンス(在位364‐378)で,この時期の危機は北方国境にあり,ウァレンスは侵入した西ゴート族に敗れ(378),遺体もみつからなかった。ウァレンティニアヌスの息子グラティアヌス(在位367‐383)を補佐したテオドシウス1世(在位379‐395)は,西ゴートを国境外に追えないと悟り,彼らにトラキア管区の北部2州に防衛義務と交換に定住地を与えた。彼らは自分たちの王を戴き,自分たちの指揮官の下でローマ軍に参戦したのだから,事実上は帝国内に定住したゲルマン国家にほかならなかった。…

※「グラティアヌス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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