神的存在や死者に犠牲(いけにえ)や供物(くもつ)を捧(ささ)げて祭祀(さいし)礼拝を営み、それらと人間とがなんらかの交わりをもつ中心的場となる台。宗教、時代、祭祀によって、祭壇の形態は多岐に分かれる。
[生野善應]
人が、接する自然環境のさまざまな局面に、超自然的力を感得したとき、神的存在の顕現する場所に任意に祭壇が設置されたが、やがてそれは常設化した形態をとるとともに聖視された。それには特定の巨岩、石積み、土盛りや、平板石を用いた架台(かだい)が多く、一般にその上に祭具が置かれ、また必要に応じて、四方を浄化して、祭壇の拡大化もみられた。神殿の建立は神霊の降臨する祭壇を荘厳にする過程において発生したが、祭壇そのものも、木材、大理石、金属などの精選された材料を用いて、複雑な構造と入念な装飾をもつものがしだいに現れるようになった。また、犠牲を供具(きょうぐ)するために、祭壇の大型化も行われていった。セム人の宗教にその典型がみられる。
[生野善應]
元来、祭壇は犠牲の羊などを屠(ほふ)り、血を注いだりするためのもので、周囲に溝(みぞ)をつけた大型の架台である。火や香の祭壇が付設されたのは後代であるが、ヘブライ語ミズベーアハMizbēaには、動物を供犠(きょうぎ)する台、その供犠物を焼いて香を送る台との両義がある。犠牲を焼いて、それとその芳香を神に献送する営み(燔祭(はんさい))は、神を喜ばせる最高の営みと考えられ、また一方礼拝(れいはい)者と霊が上昇して神との最高の関係が生み出される営みとも考えられたのである。
[生野善應]
祭壇は神と契約を交わす場としての重要性が高い。モーセは、主(しゅ)より律法を記した石板を授かるべくシナイ山に登る前に、麓(ふもと)で祭壇を築き、犠牲を献じて、契約のしるしとした。古代ユダヤ人が幕屋に設置した燔祭用と焚香(ふんこう)用の両祭壇は、いずれもアカシア材でつくられていたが、神殿が発達したソロモン王時代、燔祭用はフェニキア人の影響とみられる青銅で覆った祭壇、焚香用は、『旧約聖書』によれば、金製であったといい、祭壇が神殿で中核的位置を占めていったことがうかがえる。
[生野善應]
その祭壇は、「主の食卓である祭壇」(カトリック)と規定され、また聖卓、聖餐(せいさん)卓(プロテスタント)と称されているように、最後の晩餐の食卓をかたどったものとしてキリスト教初期から存在し、最後の晩餐に倣った食卓を中心に据え、礼拝形式が守られてきたが、祭壇の本質については象徴的意義が強い。イエスの血と肉を表すぶどう酒とパンの供物を献ずる台として、そこに現在するキリストをみ、十字架の犠牲が繰り返されるとするカトリックの祭壇はもとより、信者がイエスの死を記念し、反芻(はんすう)してその意味を知るための媒体的要素が顕著なプロテスタントの聖餐卓にも、その本質には、最後の晩餐とイエスの十字架上の死とを神への宥(なだ)めの供え物と解する聖書の伝承に基づく供犠の観念が、洗練した形で貫いていると考えられる。長方形の石板を4脚で支える卓を祭壇の基本形とし、聖堂の発達とともに、工芸的に優れた祭壇ができた。4~6世紀には浮彫りの天蓋(てんがい)を4円柱で支える上部構造をもつ祭壇(チボリウム型)、中世盛期には祭壇脚部に装飾が施され、可動的な織物の天蓋できらびやかな祭壇(バルダキーノ型)が現れた。北欧には大規模な多翼式祭壇もある。カトリックの祭壇は、聖堂の東方位の内陣部に置かれ、司祭と会衆がそれを挟んで対面しミサを行う。祭壇上に左右に垂れる布地を敷き、聖別されたパンとぶどう酒のほか、中央に十字架、祈祷(きとう)文、聖書、左右に燭台(しょくだい)を置く。プロテスタントの祭壇の様態は一定しないが、近年は正面に聖卓を据え、その上を十字架、燭台、花で飾る教会が多い。
[生野善應]
古代マヤ人の祭壇は人身御供(ひとみごくう)に用いられた。身体を青く塗った犠牲を神殿の中庭に伴い、円形の祭壇において手足を押さえ、肋骨(ろっこつ)を切り開いて心臓をつかみ出し、神官が鮮血を太陽神に献(ささ)げた。アステカの軍神ウィツィロポチトリへの人身御供も著名である。
[生野善應]
皇帝が国家的行事として天帝を祭る儀式を行う祭壇は天壇といい、城都の南郊にて冬至日に祭天の儀が勤められた。天壇は天の円を模して三重の大理石造の円壇丘をなす。現在の北京(ペキン)では、三重の天壇(圜丘(えんきゅう)壇)を含む天への祭礼を行った請施設を、広義の天壇と地祇(ちぎ)を祭る地壇は方形二壇である。
[生野善應]
バラモン祭式において重要な位置を占める祭壇は、『祭壇経』śulva-sutraに基づく。これは、祭壇の場所の認定、祭壇の形式などを説くが、火の祭壇の設置規定に詳しい。火神アグニを祀る火の祭壇はとくに複雑である。パーシー教徒は火の祭壇にて拝火の儀式を行う。
[生野善應]
原初の祭壇には、石で囲んだり、石積みをした神霊を招斎する清浄なる場である磐境(いわさか)や、青柴垣(あおふしがき)で囲んだ中に榊(さかき)を立てて玉串(たまぐし)としたり、常磐木(ときわぎ)を立てて神霊憑依(ひょうい)の場を明確にした神籬(ひもろぎ)がある。後代には、神座としての祭壇は神像の坐(いま)す厨子(ずし)や乗輿(じょうよ)の形に荘厳(しょうごん)化し、かつ高壇上に納められた。
[生野善應]
寺院や家庭内の仏(ほとけ)または先祖、成仏(じょうぶつ)せる死者を祀る祭壇は仏壇と称し、奥に仏像や位牌(いはい)を安置し、前面に三具足(みつぐそく)(花立て、燭台、香炉)を置く。法要を行うとき、奉請(ぶじょう)する仏や菩薩(ぼさつ)、または先祖や死者の霊にとって、仏像や位牌が依(よ)り所の役割を果たすと考えられ、それに礼拝(らいはい)し、灯明(とうみょう)、香華(こうげ)、飲食を供える行為は、祭事者の宗教行動の中核をなす。したがって、仏壇は、儀礼中はもとより恒常的に神聖・清浄なる場として保持される。家庭用の仏壇は箱仏壇、単に仏壇とも称し、寺院内の須弥山(しゅみせん)を模す数層の大型仏壇は、須弥壇と称する。仏教の祭壇には、常設的な仏壇のほかに仮設的なものがある。葬儀用の祭壇や盆の精霊(しょうりょう)棚がこれにあたる。通例、仏教でサイダンといえば、葬儀に際し柩(ひつぎ)前に設置する多くの飾り物を並べた雛段(ひなだん)型の白木の祭段をさす。死者の憑霊を想定して紙(し)(死と同音)花(か)を立てるなどから、神道系統の影響が考えられる。
[生野善應]
神的存在に供物を供進し,また祭具を設置して祭祀を行う台。祭壇は,台状あるいは板状の自然石を用いた石壇,土を盛りあげて造った土壇,石を積みあげた石積壇,木製の案(あん)(机),地面に獣皮や薦(こも)を敷いて祭壇とするものなどその形態は多様である。祭壇は供進された供物を媒介として神的存在と人との通路づけの場であり,両者をつなぐ儀礼的な聖なる空間を構成する。祭壇の原意についてみると,祭壇を意味するヘブライ語mizbēaḥでは〈犠牲の場所〉で,犠牲動物を屠殺し焼いたり,血をささげる壇か,供進して香をたく壇を意味する。古代アラビア人は自然石の祭壇のかたわらで犠牲動物をほふり,その血を祭壇の上ないし基底部に注ぎかけた。古代イスラエル人は,犠牲の動物を焼いて神にささげる燔祭(はんさい)を行った。キリスト教会における祭壇は聖餐(せいさん)のための食卓である。祭壇の用語が確定されたのは4世紀ころである。祭壇は現在でも多くの教会で聖卓Holy Table,聖餐卓Communion Tableと呼んでいるように,〈最後の晩餐〉にならって十字架の犠牲がくり返しささげられる場であり,人間の祈りと聖霊との交わりの場であると理解されている。3世紀以来殉教者の墓で聖餐を守る習慣が生まれたことから棺の形にしつらえた石の祭壇となり,殉教者の遺骨や遺物(聖遺物)は聖別された祭壇の中か,聖遺物匣(ばこ)に入れるカトリック教会の慣習の起源となった。6世紀以降個人的ミサが行われるようになって主祭壇と並んで副祭壇がつくられるようになり,また旅行などに携帯祭壇も用いられた。
仏教の祭壇は,仏・菩薩,先祖の供養の場である。形態的には常設の祭壇と仮設の祭壇とがある。前者には寺院仏堂内の仏像を安置する須弥(しゆみ)壇や家庭内の仏壇がある。密教の大壇・護摩壇も広義の祭壇である。後者には葬祭祭壇,四十九日までの中陰壇,盆の盆棚ないし精霊棚,寺院の年中行事となっている施餓鬼会(せがきえ)の際に特設される施餓鬼棚がある。一方,神道の祭壇も正月の歳棚のように臨時に仮設されるものを起源とし,中世以降伊勢の大麻や鎮守の神札を納める神棚が常設されるようになった。
執筆者:藤井 正雄
祭壇は石造と定められているが,木(6世紀以降禁止)および金属も用いられた。祭壇の装飾としては,前面に下げるアンテペンディウムantependium(前飾)がある。木,布,金属,象牙製などがあり,祭壇の前面自体に装飾が施される例も多い。ミラノのサンタンブロージョ教会の〈パリオット〉(9世紀)は前面ばかりでなく,他の三つの側面も金や銀などの浮彫で飾った豪華なものである。祭壇の上または背後に置かれる装飾としてはレタブルムretabulumまたはレトロアルタレretroaltare(祭壇飾壁)がある。これは絵画または彫刻で飾った一種のついたて(木,金属あるいは石製)で,最初は単純な縦長あるいは横長の長方形であった。有名な〈パラ・ドーロpala d'oro〉(ベネチア,サン・マルコ大聖堂)は10~14世紀に作られた多数のエナメル板をつないでついたてに仕立てたものである。ゴシック時代に入ると,建築様式にのっとって,尖塔や破風などを上にのせて複雑な形状をとるようになり,基部にはプレデラpredella(イタリア語)が付加されることもある(ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャの《マエスタ(荘厳の聖母)》(1311)など)。複数のパネルがちょうつがいで自由に開閉できる扉式レタブルムはおもに北方で発展した。2枚のパネルからなる二連式,中央パネルの左右に翼部をもつ三連式,多数のパネルからなる多翼式(代表的作例にはファン・アイクの〈ヘントの祭壇画〉,グリューネワルトの〈イーゼンハイムの祭壇画〉など)がある。扉式レタブルムは祝祭など特別の日にだけ,翼部を開いて内面が展示された。16世紀スペインおよびバロック時代のドイツでは,レタブルムは祭壇の背後に高くそびえるモニュメンタルな構築物になる。そこに表現される中心的主題は,キリスト,聖母,祭壇のささげられた聖人に関するものである。
祭壇の四隅に立てた柱の上にのせるチボリウムciborium(天蓋)は,初期キリスト教時代に殉教者の墓の上に設けた建造物に端を発するが,その代表的作例にはベルニーニの〈バルダッキーノ〉(サン・ピエトロ大聖堂)がある。祭壇の置かれる至聖所を囲み,俗人の立入りを禁止するために,障壁(障柵)が祭壇の周囲に設けられることがある。東方教会では,これがイコノスタシスとして発達し,そこに数々のイコンが飾られた。
祭壇は祭壇布で覆われ,その上を飾る祭具には,祭壇十字架,祭壇燭台,聖櫃(せいひつ)(タバナクルtabernacle(英語))がある。
執筆者:荒木 成子
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