グレチコ(読み)ぐれちこ(英語表記)Андрей Антонович Гречко/Andrey Antonovich Grechko

日本大百科全書(ニッポニカ) 「グレチコ」の意味・わかりやすい解説

グレチコ
ぐれちこ
Андрей Антонович Гречко/Andrey Antonovich Grechko
(1903―1976)

ソ連軍人。現在のロストフ州生まれ。ウクライナ人。1919年からソ連軍に勤務。1928年入党。フルンゼ陸軍大学校、参謀本部大学校を卒業し、第二次世界大戦中は軍指揮官として活躍。戦後、駐独ソ連軍総司令官、ワルシャワ条約軍総司令官などを歴任。1955年ソ連邦元帥。1967年4月国防相。1973年4月、ジューコフ元国防相に次いで職業軍人として2人目の党政治局員となる。1976年4月国防相在職中急死。死後モスクワ目抜き通りに同元帥の名がつけられた。

中西 治]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「グレチコ」の意味・わかりやすい解説

グレチコ
Grechko, Andrei Antonovich

[生]1903.10.17. ウクライナ,ロストフ
[没]1976.4.26. モスクワ
ソ連の軍人。 1919年赤軍に入り,28年共産党入党。 36年フルンゼ陸軍大学,41年参謀本部大学を卒業。第2次世界大戦中はウクライナ方面軍司令官,44年陸軍大将となった。戦後は,キエフ軍管区司令官を経て 53~57年東ドイツ駐留ソ連軍総司令官,55年ソ連邦元帥,57年ソ連第一国防次官兼ソ連地上軍総司令官,60年ワルシャワ条約統一軍総司令官などの要職を歴任した。 R.マリノフスキー国防相死去のあとをうけ,67年3月国防相。 73年党政治局員。在職中に没した。

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