米欧の軍事同盟である北大西洋条約機構(NATO)に対抗し、1955年に発足した社会主義陣営の軍事同盟。加盟国はソ連を筆頭に8カ国(うちアルバニアは68年脱退)。56年のハンガリー動乱や68年のプラハの春の鎮圧に動員され、敵ではなく同盟国に軍事介入する特異な役割を担った。ソ連崩壊を約半年後に控えた91年7月に解散した。
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ソ連を中心として東欧諸国の政治的・軍事的統一を保障することを目的に結成された政府間国際機構。英語ではWarsaw Treaty Organization(WTO)。1991年に解体した。ソ連は,第2次大戦後東ヨーロッパにあいついで成立した社会主義国とのあいだに友好・協力・相互援助条約を個別に結び,冷戦の開始とともにNATOなど,アメリカを中心に結束を固めはじめた西側に対抗した。しかし西ドイツのNATO加盟に危惧をいだいたソ連は,2国間だけの条約群では不十分と考え,東欧諸国全体を包摂する政治・軍事機構を構想した。こうして1955年5月,ソ連,アルバニア,ブルガリア,チェコスロバキア,東ドイツ,ハンガリー,ポーランド,ルーマニアの8ヵ国とオブザーバーとしての中国がワルシャワに集まり,〈友好・協力・相互援助条約〉と〈ワルシャワ条約加盟国統合軍司令部の設置に関する声明〉に調印し,同機構を発足させた(アルバニアは1968年のいわゆるチェコ事件を契機に脱退)。
条約は前文と11ヵ条から成る。重要な国際問題や共同防衛の協議について定めた第3条と集団的自衛権を規定した第4条とが中核をなす。これらの基本目的を実現するための機関として同条約は政治諮問委員会と統合軍司令部の設置を述べている。政治諮問委員会は加盟国の党書記長,首相,外相とで構成され,制度上最高意思決定機関であるが,実際は政治的協議の場にすぎず,重要政策はこの委員会の外で,しばしばモスクワで決定されているといわれている。統合軍司令部は加盟国の国防次官で構成され,ソ連国防第一次官を総司令官とする。この執行機関としてソ連軍将官を参謀総長とする統合参謀部がある。ただし緊急時にはこれらが作戦命令機能を遂行できるかどうか疑問視されており,実際にはソ連軍参謀本部にその機能が委譲される可能性が大きい。1968年のチェコへの5ヵ国軍侵入の際には,作戦行動全体がソ連軍司令部によってすすめられたといわれている。条約第5条にもとづく統合軍としては,ソ連西部に駐留するソ連軍と加盟諸国の軍を合わせて約500万人とみられる。
ワルシャワ条約機構は,確かに西側のNATOに対抗する政治・軍事同盟として,ソ連の対外政策を集団的に推進する機構である。それは発足当初からなされているNATOとの不可侵条約締結の提案や,1975年のヘルシンキ全欧安保会議開催に結実している。しかし,これまでの同機構の役割をみるかぎり,それにとどまらないことも事実である。すなわち同機構は東欧諸国のソ連からの離反や,社会主義体制からの逸脱を阻止するという対内的機能をも果たしていたのである。1956年に同機構を脱退して中立国化を試みたハンガリーをソ連は武力で抑圧したし(ハンガリー事件),68年には〈人間の顔をした社会主義〉を実現しようとしたチェコスロバキアに対して,〈社会主義共同体全体の利益は個々の国家主権に優位する〉といういわゆる制限主権論(ブレジネフ・ドクトリン)のもとに,東ドイツ,ポーランド,ハンガリー,ブルガリア各国軍とともに侵入し,チェコの改革を抑圧したのである。また80年にはポーランドにおいて,労働者の自主管理労組〈連帯〉の運動に対しても,ソ連は間接的な威嚇により挫折させたといってよい。
このように,ソ連の安全保障に直接かかわる東欧諸国をワルシャワ条約機構を通じてソ連に結びつけておこうとする政策に対して,ルーマニアは,たとえば国内での合同軍事演習の拒否,国内法にもとづくソ連軍の駐留・通過不認可,ソ連の防衛支出増加要求への反対などによって,国内政治への同機構の介入を拒否しつづけている。また1983年11月の中距離核戦力(INF)交渉中断にともない,ソ連がSS20ミサイル(戦域用中距離核ミサイル)の配備凍結を解除し,東ドイツ,チェコへの同ミサイルの配備を開始した際にも,ルーマニアはソ連に公然とその撤去を迫った。
冷戦終結にともない1989年後半,ポーランド,ハンガリーに始まり,〈ベルリンの壁〉崩壊をへて,チェコスロバキア,ルーマニア,ブルガリアへと進んだ〈東欧革命〉にソ連はまったく干渉せず,それどころか驚くべき速さで東欧諸国における共産党支配体制と東側の〈社会主義共同体〉自体が崩壊した。こうして91年7月1日ワルシャワ条約機構首脳会議で同機構を解体する議定書が調印され,消滅することになったのである。
→冷戦
執筆者:高柳 先男
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ソ連および東欧圏7か国(アルバニア、ブルガリア、ハンガリー、東ドイツ、ポーランド、ルーマニア、チェコスロバキア)が結成した安全保障機構。正式名は東欧相互防衛援助条約機構。西欧同盟の結成(1954)や西ドイツのNATO(ナトー)(北大西洋条約機構)への加入(1955)といった事態に触発されたもので、「友好、協力および相互援助条約」が1955年5月14日調印、同年6月6日発効した(アルバニアは1968年、東ドイツは1990年に脱退)。ソ連を中心とする東欧圏の安全保障方式は、それまで、旧敵国に対する過渡的安全保障条項(国連憲章第107条)に基づくものであったが、本条約では、その法的な基礎を国連憲章第51条に規定する「集団的自衛権」に置き、共同防衛体制を形成した。締約国は、その共通の利益に関するすべての重要な国際問題につき相互に協議し、締約国のいずれかに対する「武力攻撃の危険」が生じたと認めたときは、相互に協議する(第3条)。ヨーロッパにおいて締約国に対する武力攻撃が発生する場合には、自衛権の行使として、個別的にまたは集団的に、必要と認めるあらゆる援助を与えなければならない(第4条)。本機構の最高機関は政治協議委員会(第6条)であり、その権威の下に統一司令部が設置される(第5条)。本機構の行動原則として、独立および主権の相互尊重ならびに内政不干渉が明示される(前文・第8条)、とした。この行動原則の適用は、ハンガリー動乱(1956)やチェコ動乱(1968)などの事例にみられるように、いわゆるブレジネフ・ドクトリンないし制限主権論との関連において問題となる。1980年代の後半には、ソ連および東欧諸国の共産主義政権の連鎖的な崩壊により冷戦構造は瓦解(がかい)し、本条約機構もその歴史的な役割を終え、1991年7月政治諮問委員会における解散議定書の署名によって解体した。
[森脇庸太]
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ソ連および東欧諸国(ポーランド,東ドイツ,ハンガリー,ルーマニア,ブルガリア,アルバニア,チェコスロヴァキア)が1955年5月,ワルシャワで調印。正式には,東欧8カ国友好協力相互援助条約にもとづく相互安全保障機構。ワルシャワ条約は西ドイツの再武装とNATO(ナトー)加盟を承認したパリ協定に対抗して成立。この条約は国連憲章の目的と原則にもとづき,加盟国が武力攻撃を受けた場合にとるべき共同防衛措置を決め,そのための統一軍司令部を設けた。ただし,NATOと違って,直属の兵力は有せず,各国の兵力を統一軍司令部が指揮する権限を有するのみで,統一軍司令部はモスクワに置かれた。東欧の革命,ペレストロイカにより91年7月解散した。
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冷戦期の東欧における地域的集団安全保障機構。1955年西ドイツの再軍備と北大西洋条約機構(NATO)加盟に対抗して,ソ連の指導のもとで東欧八カ国友好相互援助条約(ワルシャワ条約)を結んで成立。56年のソ連軍によるハンガリー介入のように,同機構は域内での政治的監視機能をも保持。また68年のチェコ介入ではブレジネフ・ドクトリン(制限主権論)が展開された。アルバニアが中ソ論争を機に68年に脱退。冷戦の終結により,91年3月に軍事機構として,また7月に政治機構としても解散を決定。
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…ここに生まれたいわゆるベルリンの壁は,西側の反ソ・反東独の宣伝をさらに激しいものとし,東西間の緊張はますます高まった。これより先1955年の西ドイツの北大西洋条約機構(NATO)への加盟と,これに対抗する東ドイツのワルシャワ条約機構への加入によって遠のいていたドツ再統一は,ここにいたってほぼ絶望的なものとなった。 西ドイツは東ドイツをソ連傀儡政権とみなし,東ドイツ国家の存在をあくまで否認しようとし,全ドイツにおける自由選挙を統一の前提と主張した。…
…政治面では,議会の無視,共産党の一党支配,党内の対ソ自主派の粛清(ハンガリーのライク,ブルガリアのコストフ,ポーランドのゴムルカなど),〈小スターリン〉の独裁(ハンガリーのラーコシ,ブルガリアのチェルベンコフ,ポーランドのビエルト,チェコスロバキアのゴットワルトなど)が特徴となった。さらに,55年にはワルシャワ条約機構がNATOに対抗してつくられた。反面ユーゴスラビアは労働者自主管理(労働者管理),非同盟の社会主義を模索していった。…
※「ワルシャワ条約機構」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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